20年前の孫正義が「日経BP」を欲しがったワケ 上場直後のソフトバンクが目指していたこと

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私は「ソフトバンクを取り上げないというつもりはまったくありません」と孫に言った。「しかし、ソフトバンクの経営を理解するには、あなたの個人資産管理会社ともいえるMACを含めて、グループ会社全体の財務内容を知る必要があります。これらの会計情報をオープンにしたうえで取材に応じていただけるのなら、いつでもソフトバンクを特集で取り上げる気持ちを持っています」と述べた。

北尾は一言も口を挟むことはしなかった。私と孫の議論を一つひとつ、咀嚼しているように見えた。MACのディスクロージャーがなければソフトバンクの経営は語れないことを、誰よりも解っているのは北尾だったと思う。

オーナー系企業が、成長期に公開企業へと移行する過程では、しばしば、同族の非公開企業が、ブラックボックスとして登場する。ミネベアの高橋高見の個人企業である啓愛社、松下幸之助の資産管理会社といわれた、松下興産などがその代表格だった。

ソフトバンクにとっては、MACという孫正義の個人資産の管理会社がそれだった。MACは、資金繰りに追い詰められていたソフトバンクが、東証一部に上場して新しい資金調達手段を確立するまでの、過渡期の資金調達の手段だった。孫の持ち株を担保に使ったファイナンス、銀行からのキャッシュフローの裏付けのある融資ではなく、ソフトバンクのヤフー株の含み益を当て込んだ融資などは、ソフトバンク本体ではなく、MACを通じてなされることが多かったが、上場企業としてのディスクロージャーの網にはかからない。

孫正義の饒舌の意味を知っていた北尾吉孝

かつて、「住友は心のふるさとだ」というバブルの時代を象徴するひと言を放った光進グループの小谷光浩は、「孫さんの会社にも私はずいぶん資金繰りで寄与したんですよ」と語ったことがある。ことの真偽は今となっては確認しようがない。事実であるとすれば、MACを通じたソフトバンク株をめぐる取引だったと思う。

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このMACを実際に担当していたのが、金融のプロである北尾吉孝だった。孫正義の饒舌が「本質を突いていない」「的を射ていない」ことを誰よりもわかっていたからこその沈黙だったのだろう。

孫からはその後、取材をしてほしいという要請はいっさい来なくなった。MACの情報を公開するつもりはなかったのだと思う。

振り返って見ても、1994年のソフトバンクの店頭公開から、1998年12月にソフトバンクとMACが合併するまでの期間こそ、ソフトバンクが天国から地獄までどちらにでも転ぶ可能性のある期間だった。経営危機に揺さぶられつつ、孫正義と北尾吉孝が一体であった期間でもある。

永野 健二 ジャーナリスト

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ながの けんじ / Kenji Nagano

1949年東京都生まれ。京都大学経済学部卒業後、日本経済新聞社入社。証券部の記者、編集委員として、バブル経済やバブル期のさまざまな経済事件を取材する。その後、日経ビジネス、日経MJの各編集長、大阪本社代表、名古屋支社代表、BSジャパン社長などを歴任。共著に『会社は誰のものか』『株は死んだか』『宴の悪魔-証券スキャンダルの深層』『官僚-軋む巨大権力』(すべて日本経済新聞社)、単著に『バブルー日本迷走の原点』(新潮社)がある。

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