会社員から鉄道小説家に転身、「成功の鍵」は? 最初は小説よりも企画書のような文体だった

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会社員から転身した豊田巧の『電車で行こう!』シリーズはベストセラーに(筆者撮影)

東洋経済オンラインの読者の皆さまはリンダ・グラットンの『LIFE SHIFT』をご存じのことと思う。人間の寿命が伸び続け、100年の人生を生き抜くことを前提として、もう一度、人生を考え直そうという現代人の戦略的人生設計書である。

子ども向けから中・高生向けライトノベル、本格派鉄道ミステリーまで、広い層に向けて鉄道にまつわる物語を上梓し続けている小説家の豊田巧もまた『LIFE SHIFT』を地で行くかのように、40代半ばから第二の人生を歩み始めた。

もともとは広告で身を立てるつもりが…

豊田が「小説家」という肩書を得たのは集英社みらい文庫の『電車で行こう!』が出版された2011年3月のことである。年齢にして43歳。大学卒業時より勤務していたゲームメーカーを退職した、その1年余り後のことである。

豊田はサラリーマン時代、宣伝を中心にメディアミックスのゲームを制作していた。その経験を生かし、会社を辞めた後は、広告や企画で身を立てるつもりだった。そんな折、偶然再会したのが、編集プロダクション社長の石川順恵である。角川スニーカー文庫、電撃文庫をはじめ数々のレーベル創設にかかわり責任者も務めた編集者・石川は、その時、外部ブレーンとして集英社みらい文庫の立ち上げに参画していた。

会社を辞めた後、何をして生きていこう。今で言う『LIFE SHIFT』をしたものの、その後の生活がまだ白紙だった豊田が希望と不安の混じる未来を石川に語っていた時、たまたま耳にした、集英社が児童小説作家を探しているという話に最初は戯言(たわごと)でこう言ってみた。

「僕も西村京太郎先生が書く鉄道ミステリーの児童小説版を書いてみたいと思っていたんです」

「面白そう! じゃあ、豊田さんも書いてみます?」「書きます! 書かせてください!」

ひょんなことから豊田は小説を書き始めることになった。その時は企画屋として生きていくために小説の1本でも書いていたら良い経験になるかもしれない、そのぐらいの気持ちだった。

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