妻と僕  寓話と化す我らの死 西部 邁 著~晦渋な文体で克明に紡いだ半世紀以上に及ぶ愛の物語

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妻と僕  寓話と化す我らの死 西部 邁 著~晦渋な文体で克明に紡いだ半世紀以上に及ぶ愛の物語

評者 映画監督 仲倉重郎

 「連れ合い関係は物語である」と著者はいう。では本書はどういう「物語」なのか。それは、16歳で出会った女と男の半世紀以上に及ぶ愛の物語である。こうまとめると、著者は顔をしかめるだろうか。

16歳のとき、札幌の高校で知り合った「僕」と「M」は、途中に3年余ブランクはあるものの、25歳で結婚して44年。精神の構造は相当に異質な二人だったが、物語は順調に進んできた。

だが1年半前、Mが重症の大腸癌に冒されていることが判明し、物語は突然「起承転結」の「転」に突入する。さらに、1年後にまた、10時間に及ぶ大手術を受けなければならなくなり、「転」はさらに厳しい局面を迎えた。

言論人として、著者は、やがてやってくる妻の死にうろたえているばかりではいけないと、必死になって自分を保とうとする。だが、「危機感を濃く漂わせているのは、連れ合いの死相ではなく、自分の思想のほうだ」と気付く。

二人の長い「愛の物語」の最初はこういう光景である。

50年前、高校2年の雪の日のこと。始業日に30分も遅れて教室にやってきた少女Mは、少年の前の空いている席にドサッと座り、髪に積もった雪を手でバサッと払った。それが少年の顔にかかった……。

こうして始まった町医者の娘と重症の吃音少年の「物語」は、半世紀を越える大長編となった。それを、「夫婦の具体的、個別的、そして特殊的な人生の流れにおいて」、著者特有の晦渋な文体で克明に紡いでみせる。

かつて、新左翼の活動家として60年安保闘争を指導した僕は、翌年、22歳のとき、左翼過激派と訣別する。

その夏、Mに誘われて石狩の海に行った。浜辺に走っていくMの後姿を見ていたとき、「それまで僕の背中にしつこくとりついていた薄気味の悪い左翼の影が、すっと消えていった」。

二人の物語は、どこまでも映像的である。

その後、僕は、西欧流保守思想の提唱を基軸にした評論活動を活発に行うようになる。その思想の変遷は、Mと過ごした44年間が可能にしたのである。だから妻の死は「自分の精神構造の半分が崩落する」ものだと感じる。いやそれ以上だ。

女にとって連れ合いの死は世界の一部分の消滅だが、男にとっては、世界そのものの消失なのである。「Mに先立たれたら、……筆を手にすることは二度とあるまいと思います」。そして、来るべき物語の終わりのために、「自死」の思想は手ばなしたくないという……。

にしべ・すすむ
評論家。1939年生まれ。東大在学中に自治会委員長。60年安保闘争で指導的役割。人事問題のもつれをめぐり東大教授を辞任。秀明大学教授・学頭を歴任。月刊誌『発言者』刊行。『経済倫理学序説』で吉野作造賞、『生まじめな戯れ』でサントリー学芸賞。

飛鳥新社 1785円  245ページ

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