ヤバすぎる風俗の経営者が足を洗った事情 デリヘルドライバーを機に人生立て直し

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駒井はもともと風俗の経営側にいる人間だった。きっかけは20代の後半、ホテトルと呼ばれる業態であった。ホテトルとは「ホテル」と「トルコ」の合体語だ。若い人はご存じないだろうが、現在のソープランドは1980年代半ばまで「トルコ風呂」と呼ばれていた。それが当時、日本滞在中のトルコ人留学生から「母国の名がいかがわしい商売に使われているのは悲しい」という訴えがあり、公募によって「ソープランド」と改名された。

ちなみにこの運動を後押しし、政府と行政に強く働きかけたのは、ニュースキャスター時代の小池百合子(現・東京都知事)である。ホテトルはラブホテルなどに女性を派遣することからデリヘルの始祖ともいえるのだが、警察等に許可なく営業し、ほとんどが売春行為をさせるので基本的に違法である。大抵の場合バックには暴力団が存在する。駒井の店も、とある組の若頭が、自分の妻に経営させていた店だった。

駒井は1995年に長野県の公立高校を卒業し、警備会社に就職するため上京した。2年後、バーテンダーになりたいという希望を抱きバーテンダースクールへ通い、学校の推薦もあって六本木のパブに勤める。ところが3カ月過ぎたところで、先輩のバーテンダーを殴って首になってしまう。

取材で話をしている限り、駒井は実に穏やかな人間で「キレる」という行為からも無縁に見える。しかしその先輩という人物から陰湿ないじめを受けていたことで、思わず手が出たのだ。これによって彼の人生は180度転換してしまう。というのも水商売の世界は狭く、駒井の勤めた店が都内に10軒近く展開する有名チェーン店だったこともあり、「人を殴って首になった男」の噂はたちまち広がり、どこも雇ってくれなかった。

そこから、駒井の流浪の日々が始まる。キャバクラの黒服、ポーカーゲーム店、パチンコ屋、どこも違法な店だったりブラック企業だったりしたため、長くは続かなかった。最終的には中年女性の相手をする出張ホスト、さらには新宿2丁目の男娼にまで身を落とした。かろうじて多少続いたのはテレクラだった。そのときの同僚から後に誘われたのが、前述のホテトルである。

店は実にシステマティックに警察対策を施していた。まずホテトル嬢は都内のファストフード店などで待機し、ドライバーがピックアップ。客のいるホテルへと届ける。駒井たちの事務所はそこからはかなり離れた京浜地域にあった。連絡は電話のみ。しかも摘発から逃れるため、月に1度は引っ越しをした。

ヤクザ組織は闇金融も経営していたので、ドライバーとして債務者を使った。住所はもちろん家族から親戚まで情報を押さえられているので、彼らは店の言いなりだった。「だから人間扱いしてなかった。まさか後に自分がドライバーになるとは夢にも思わなかった」と駒井は回想する。

3つの条件が整えば、いい女は自然に集まる

ホテトルは繁盛し、オーナーの若頭はキャバクラなど異業種にも乗り出すことになり、スタッフに対しても「お前たちもやる気があるならカネを出してやる」と持ちかけた。そこで駒井は自分も性風俗の店を経営しようと考える。まずは繁盛していそうな風俗店を探し、素人のふりをして店員として雇われ潜入した。ノウハウを会得するためだ。

その頃流行っていたのはビデオボックスに手コキ(女性が男性客の性器を握って擦り射精させるサービス)が付くというものだった。ビデオボックスとは個室にビデオデッキとアダルトビデオが設置されたもので、客はオナニーするために来る。1990年代前半まではかなり流行ったが、ネットカフェやマンガ喫茶が登場して廃れてきたところで、誰かが風俗嬢のサービスをプラスすることを思い付いたのだろう。

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