肉声が明らかに…宮崎勤元死刑囚「本当の姿」 私たちはだまされていたのか?

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宮崎勤の言葉に刑事は……実録ドラマで描く攻防(坂本真、矢柴俊博、金子ノブアキら)

その声は少し高く、やや早口でどもりがちではあるが、至って冷静にかつ淡々と自らの犯行を語っていた。声の主は宮崎勤元死刑囚(当時26歳)。犯罪史上に残る東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人だ。

1988年から89年、昭和から平成にかけて4人の幼い少女を次々と誘拐し殺害、連続事件としては初めてともいえる劇場型犯罪で、自らを「今田勇子」と名乗りマスコミ宛に送った犯行声明文が警察への挑戦とされ、世間を騒がせたまさにその男。アニメ好きで6000本の多種多様なビデオを収集し、裁判では「人肉を食べた」「死んだおじいさんに捧げるための儀式」「ネズミ人間が現れた」など奇怪な発言を繰り返し、2度の精神鑑定が行われその責任能力の有無が問われた、得体の知れない人物としても知られている。

その「実像」はどうだったのか? フジテレビ報道局は逮捕後のおよそ2週間に及ぶその詳細な“取り調べ”の音声を入手した。刑事たちとのやり取りから見えてくるその「実像」は世間を騒がすサイコパス……というよりは引きこもりがちでコミュニケーションをとるのが苦手だが、どこにでもいそうな青年だった。

あの事件とは何だったのか? 宮崎勤元死刑囚とは何者だったのか? 10月7日(土)夜9時から放送する「衝撃スクープSP 30年目の真実~東京・埼玉連続幼女誘拐殺人犯 ~宮崎勤の肉声~」(フジテレビ系)は、事件から30年目の今年、明らかになった肉声と関係者への詳細な取材とともに新たな事実を浮かび上がらせる。

死刑執行から10年、宮崎勤元死刑囚とはどんな男だったのか?

少女たちは狙われ、次々と誘拐され殺害された

1988年8月に埼玉県のAちゃん(当時4歳)が行方不明となり、公開捜査となったが手掛かりなし。そのおよそ2カ月後の1988年10月、埼玉県のBちゃん(当時7歳)が行方不明、さらにその2カ月後の1988年12月に同じく埼玉県のCちゃん(当時4歳)も行方不明となった。

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