甲子園で秀岳館に見た「嫌われる勇気」の成果 「結果を出すための覚悟」を貫いた鍛治舎監督

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8月17日の2回戦で広陵(広島)に敗れ、引き揚げる秀岳館(熊本)の鍛治舎巧監督(中央)と選手たち。この夏を最後に勇退する鍛治舎氏は、パナソニックで専務役員を務めた異色の経歴を持つ。2014年から監督を務めてきたが、チーム作りや采配でしばしば物議をかもしてきた(写真:共同通信社)

近年、これほど甲子園で罵声を浴びたチームがあっただろうか――。8月17日の「夏の甲子園」大会9日目、広陵(広島)に敗れ、2回戦で甲子園を去った秀岳館(熊本)のことである。

NHKの高校野球解説者として知られる鍛治舎巧(かじしゃ・たくみ)が監督に就任したのが2014年4月。鍛治舎は県立岐阜商から早稲田大学に進学。その後は松下電器産業(現・パナソニック)に入社し、社会人野球で活躍、選手引退後は監督も経験した。その後、会社員生活では、2014年までパナソニックの専務役員(企業スポーツ推進担当)も務めた。高校野球の監督では、異色の経歴と言っていいだろう。

鍛治舎が監督に就任後、秀岳館は2015年秋の九州大会で優勝。甲子園では2016年春から3大会連続でベスト4進出を果たした。短期間でこれほどの成果を出せば評価されてしかるべき。だが、秀岳館と鍛治舎の周囲には批判が渦巻いていた。それは地元である熊本でさえも、例外ではなかった。

秀岳館はなぜ「嫌われ者」だったのか

なぜか。鍛治舎が指導していたボーイズリーグの強豪・オール枚方ボーイズ(大阪)のメンバーがごっそり入学してきたこと。そして、ベンチ入りメンバーの中に、地元・熊本出身者が1人もいないこと……。

熊本は野球熱が高い土地柄といわれる。古くは「打撃の神様」とたたえられ、監督としても巨人をV9に導いた川上哲治を輩出、ソフトバンクで活躍した三冠王、松中信彦の出身県でもある。そこに突如現れた「傭兵軍団」は、地元の支持を取り付けられなかった。甲子園で勝ち星を挙げても、祝福ムードはなく、冷たい視線が突き刺さってきた。

最近でもこの5月、熊本で行われた早稲田実業(東京)との招待試合で、3番を打つ清宮幸太郎に打席を回すために前の2番打者を敬遠。"勝負"という観点からは意味が乏しく、2番打者への敬意を欠くと見られかねない采配を非難する声も出た。試合後、鍛治舎は投手に経験を積ませるために行ったことだと説明したが、物議をかもしたのは事実だ。

その鍛治舎が率いる秀岳館は夏の甲子園、2回戦で敗退した。今大会を最後に勇退を表明していた鍛治舎にとって、監督としての最後の試合となった。

鍛治舎が率いる最後の試合を甲子園で見ていて、筆者が確かに感じたことがある。それは、監督になってからの3年5カ月、鍛治舎が時に嫌われ、批判を浴びながらも「結果」を出せるチームを一貫して育て上げてきたということだ。

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