政権を担えない民進党の「果てしない罪深さ」 党内対立で政策作れず、社会党の二の舞いに
一方、自らの政策はどうかといえば、憲法や安保政策などの路線をめぐっては保守系議員と左派系議員との間で意見が大きく割れている。その溝を埋める努力を誰もしない。深刻な対立があればあるほど、党内議論を重ねていくべきであるにもかかわらず、結党時のような地道で真剣な積み重ねをする気配はない。安倍内閣を批判するだけで、自らが政党のアイデンティティをつくろうとしないのであるから、国民に支持されるわけがない。
そもそも、これだけ政党支持率が低迷し議席が減ったにもかかわらず、一体感を持って党を再建しようという機運がないことが信じられない。執行部に属さない有力議員らは、路線の違いもあってかお手並み拝見とばかり蓮舫代表ら幹部に距離を置き、一緒になって動こうとはしていない。そこにはかつて政権政党だった記憶も責任感もないようだ。
党内分裂で政策作れず、的外れな弥縫策のみ
かつて社会党の党内左派、右派の激烈な争いは有名だった。特に最左派の社会主義協会の狭隘さはすさまじく、1960年代に現実主義的な「構造改革路線」を打ち出した江田三郎書記長を党内から放逐し、結果的に死に追い詰めていった歴史がある。言うまでもないことだが社会党内の教条主義的な路線闘争は、党内権力闘争でしかなく、それが広く国民の理解を得ることはなかった。そればかりか現実味のある政策を打ち出せない社会党への支持は冷戦後の1990年代に入って急落し、弱小政党への転落を決定的なものにしていった。
今の民進党はどうだろうか。政権批判をするだけで、自らの政策をまとめない。衆院の定数の過半数に達する候補者を擁立できない。政権獲得に向けて党内が結束しない。こうした点はかつての社会党に酷似している。窮余の策として政党名を変えた点も同じである。7月の都議選敗北を受けて蓮舫代表が二重国籍問題であわてて記者会見をしたり、幹事長以下の幹部を入れ替える人事が取りざたされていることなどは、的外れな解決策でしかない。繰り返される状況悪化を前に、縮み上がって一時しのぎの策を講じていたのでは、状況を変えることはできないだろう。
1990年代前半に実現した政治改革は「権力は腐敗する」という歴史の繰り返しを避けるため、政権交代可能な二大政党制を実現することにあった。代議制民主主義における健全な政党政治を実現するために一定期間での政権交代は不可欠である。それを制度化するためには、自民党にとって代わることのできる政党の存在が不可欠だ。その役割を民主党が担っていると、国民は期待したのだった。
今の民進党がすべきことは目先の人気獲得、あるいは次の総選挙での自らの議席維持などという小さな政治ではない。民主党結党の原点に戻り、民主党政権の失敗という教訓を生かし、党のアイデンティティを再構築することであろう。
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