結局、日本人は努力の総量が足りない

伊藤穰一×波頭亮 (下)

コンピュータ・サイエンスをやっている学生が、「ちょっと行ってくる」と言ってスタンフォードでバイオロジーのPh.D.を取得し、またMITメディアラボに戻ってきて、遺伝子とコンピュータをつなぐ新しい研究を始めるといったことが日常的に行われているんです。これはメディアラボだけの話ではなく、米国の大学教育では一般的なことです。

米国のベンチャーが強いのは、そういうところにも理由があるかもしれません。業種や職種の垣根が低く、デザイナーとエンジニアとビジネスパーソンが一緒になってプロダクトをつくる。アップルがいい例です。デザインと技術が一体となっている。でも、日本ではデザインやアートの世界とエンジニアの世界はつながりません。すべて縦割りになっている。それは異分野をクロスオーバーすることが少ない、大学の教育現場に原因があるような気がしますね。

日米のエリート 努力の総量の圧倒的格差

波頭 まったく同感です。同感であるからこそ、あえて言うと、コンピュータ・サイエンスをやっていた人間がバイオロジーでPh.D.を取るというのは、実は大変なこと。それだけのことができる知的トレーニングが徹底的になされているということです。それが世界のエリートであり、日本のエリートにも同じことができるかというと、大きな疑問符がつきます。

最近見た、最もショッキングな数字は、大学卒業までに読むテキストの量の日米比較で、米国の大学生は4年間で400冊読むのに対して、日本の大学生はわずか40冊しか読んでいないということらしいです。本を読んで理解するというのは、スポーツでいえば筋力トレーニング。その基礎的なトレーニングが、日本人は圧倒的に少ない。

伊藤 おっしゃるように、コンピュータ・サイエンスの筋トレがしっかりできていれば、そこにバイオロジーの知識や研究成果を乗せることができますが、筋トレをやっていないと、乗せたくても乗せることはできませんね。

波頭 基礎学習、さらにいえば努力の総量が、日本人には足りないように感じます。日本でエリートだった人間も、米国に留学すると、あまりの学習量の違いに皆ショックを受けるようです。米国に限らず世界のトップランナーたちはそれくらい勉強している。ちょっと日本人はラクしすぎていると言わざるをえない。

伊藤 米国は、いい意味で競争が厳しいですからね。メディアラボの学生たちも、徹夜は当たり前、週末でも誰かしら研究室に来て研究に没頭しています。メディアラボに来る学生は、プログラムも書ける、設計もできる、アートもできる、ナノでデバイスもつくれば、クルマもロケットもつくれちゃう。ほとんど何でもつくれるという自負を持っています。そういう人間たちが、まだ誰もやっていない分野を見つけてきてチャレンジする。そこではとても厳しい競争が行われているのだけれど、それは強制的な競争ではなく、自ら望んで参加するコンペティション。そうやって、アイディアもスキルも磨かれていくんです。

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1976年に創業し、90年代の渋カジブームを牽引したビームスが今も元気だ。創業以来赤字知らず。40年、最先端を走り続けられる秘密は何か。設楽洋社長への独占インタビューを掲載。