殺虫”蚊帳”開発に挑む−−マラリアからアフリカを救った日本人

3年前の2005年1月。世界各国から著名な政治家や企業経営者、学者、ジャーナリストなどが一堂に会して開かれた世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議:スイス)で“事件”は起こった。

米マイクロソフトのビル・ゲイツやタンザニアの大統領などが出席し、貧困支援の財源について討議していた分科会で、聴衆の中にいた一人の女性が、突然、立ち上がって声を上げたのだ。

「私が1万ドル寄付します。これで、マラリア予防の蚊帳を買ってください。そして、寄付に賛同する方は立ち上がってください」。声の主は米国の有名女優、シャロン・ストーン。会場は一時騒然となったが、すぐに賛同する出席者が続出。わずか数分で100万ドルの寄付が集まった。この光景は、世界中のマスコミに取り上げられ、大きな反響を呼んだ。

シャロン・ストーンが購入を呼びかけた蚊帳。それを開発したのは、実は日本人と日本の会社である。住友化学の伊藤高明(59)。長年、農薬や殺虫剤の効能を調べてきた研究者で、昆虫に詳しい農学博士だ。

船長へのあこがれは大学入試で自信喪失

伊藤の蚊帳は、どんな製品か。

マラリアはアフリカの人々にとって恐怖の病である。全世界で毎年3億~5億人が罹患し、100万人以上が死んでいるが、その9割がアフリカの住民。しかも犠牲者の多くは抵抗力が弱い5歳以下の子どもだ。

ワクチンはいまだに開発されていない。感染を予防するには、吸血によってマラリア原虫を人から人へ移すハマダラカに刺されないように注意するしかない。だが、悪いことにこの蚊は夜行性なのだ。

 伊藤の蚊帳は「オリセットネット」という名称で、使用する糸に殺虫成分を持つ薬剤を練り込んである。だから、ハマダラカはこの糸に触れると死んでしまう。人間は蚊帳の中で安心して寝ていれば身を守れるわけだ。

現地では、政府やユニセフなどが配布するオリセットネットを受け取るために、十数キロメートルも離れた家から家族と一緒に歩いてくる子どもたちがいる。みんな純真無垢で、蚊帳を手に取ると、とてもうれしそうに笑うそうだ。子どもたちは自分の体と同じ大きさの袋を両手に抱えて家路につく。

アフリカ住民にとって、まさに“救いの神”というべき製品を開発した伊藤だが、そもそも「昆虫が好きだから今の仕事を希望して選んだ、というわけではなかった」。

幼い頃、大型客船の船長になって世界を駆け回ることを夢見ていた。「パイプをくわえて、インド洋の夕日を見る姿にあこがれていた」と言う。

大学の進学先も神戸商船大学と決めていた。だが、商船大の前に3校の大学を受験し、2校に落ちてしまう。「すっかり自信をなくしてしまった」伊藤は、唯一合格した地元の名古屋大学農学部へ入学した。

夢とはまったく違う道に進んだ伊藤が、昆虫に興味を持ったのは大学3年のとき。一般教養課程を終えて自分の専門分野を選択する際に、たまたま見たフェロモンの実験がきっかけだった。オスのワモンゴキブリにメスのフェロモン成分を近づけると、オスは羽をバタバタと広げて興奮している。「これは面白い」。興味を持った伊藤は、その後、昆虫の研究に没頭する。

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