日本ならではの「インフラ輸出戦略」とは? 国の成長とともに発展!シンガポールの国づくりに見る

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政府は、成長戦略の一つに、発電所や橋梁、鉄道などのインフラ輸出を掲げている。今でこそ、海外市場への日本企業の進出は珍しくなくなっているが、1960年代から東南アジア地域や中近東地域を中心に、特に社会インフラ整備の支援を目指して展開してきたのが明電舎だ。中でもシンガポールでは1965年の独立以前から50年以上にわたり、国づくりの一端を担ってきた。同社の地に足の着いた取り組みを見ると、強豪がひしめく世界市場で優位性を発揮する、日本ならでの「質の高いインフラ輸出」のあり方もうかがえる。

資源に乏しくインフラも整っていなかった小国が
世界のビジネス拠点に成長

シンガポール共和国(以下、シンガポール)の国土の面積は約719平方キロメートル。東京23区と同程度の大きさである。人口は約554万人。1965年にマレーシアから独立したときには、電力、上下水道、鉄道などのインフラはまったくといっていいほど整備されていなかった。

この資源に乏しい小国を発展させたのが、「シンガポール建国の父」とも呼ばれる、初代首相のリー・クアンユー氏だ。港湾や空港などを建設するとともに、税金を安くし外国企業を誘致した。その後の急速な発展は周知のとおりである。アジアはもとより世界のビジネス拠点に育った。1人あたり国内総生産(GDP)は日本を上回る。

そして、シンガポールが独立した当初から、インフラづくりにかかわってきたのが、日本の明電舎である。発電、送電、モーターなどの重電機器やその制御システムで実績のある企業だ。

住宅開発の要となる
電力網の整備に明電舎が貢献

国土が狭いシンガポールにとって、土地の有効活用は独立当初からの大きな課題である。特に独立当時は住宅不足が深刻で、生活環境も悪かった。

政府主導による都市開発が行われ、1971年にはシンガポールの国土計画・都市づくりの骨格となる「コンセプトプラン」が策定された。住宅開発庁(HDB:Housing & Development Board)による公共住宅の建設が強力に進められ、現在では、シンガポールに住む人の 80%以上が公共住宅に住んでいるとされる。

今でこそ、美しい街並みと豊かな緑で知られるシンガポールだが、そこに至る道のりは平坦ではなかった。課題の一つが電力の供給である。電気がオフィスや住宅に届くまでには、発電所での発電はもとより、送電、変電、配電など、さまざまな設備が必要だ。いわゆる電力網の整備が不可欠である。

シンガポールでは独立した当時、電力事業は政府の公益事業庁(Public Utility Board:PUB)の管轄下で行われていた。1995年には、発電と送・配電部門が分離され、3つの発電会社と、送・配電会社(PowerGrid)、販売会社が設立された。明電舎はPUBの設立時からその要望に応え、1965年には早くも、都心部にあるニュートンサーカス変電所に変圧器を納入している。

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