大ブーム「田中角栄」は何がスゴかったのか? 最もよく知る男が語る「決断と実行力」

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こう笑って、あの人は一気にやりました。

「あのくそじじい、ぶっ飛ばしてやる」

大学管理運営法という法律があります。

昭和44(1969)年の1月10日、東大の安田講堂が元気のいい全共闘に占拠されて、全国の大学に紛争の火の手が走り、大混乱になりました。大学の先生たちは失礼だけど、臭いものにふたで、一本気な若者たちと正面から向かい合い、大学の管理システム改善の議論をする当事者能力がなかった。オロオロするばかりです。

東大の入試が延期、つまり、実施不可能になった。ほかの大学にも連鎖反応する状況になった。子供たちは勉強できず、卒業もできない。この頃、田中はちょうど自民党幹事長の職にありました。後に衆議院議長となった仲良しの坂田道太(みちた)さんが文部大臣をやっていた。その坂田さんの大親友が東大学長の加藤一郎さんです。この三人が密接な連携プレーをとって、大学の大火事を消すための法律をつくった。私も随分、使い走りをやらされました。やっと法案ができて、衆議院に提出され、何とか可決に持ち込みました。

ところが、法案は、参議院に送られたのはいいけれど、ガチャンと留め金をかけられて動かない。日教組出身の社会党の連中が「大学自治の侵害だ」といきり立っている。本当は総理大臣の佐藤栄作さんが、「社会党もワアワア反対しているし、新聞の論調もあまり賛成する気配でもない。急ぐことはないんじゃないか」と考えて、それが審議停滞の根っこにありました。

当時の参議院議長は重宗(しげむね)雄三さんという名物議長で、80歳を過ぎても元気一杯なじいさんです。佐藤総理とは肝胆(かんたん)相照らすというか、ツーカーの間柄で、とても仲良しでした。この大将がなかなか腰を上げない。

同じ昭和44(1969)年の7月27日でしょうか、会期末が目と鼻の先に迫り、時間切れで大学管理運営法案が廃案になりそうでした。角栄さんが衆議院の自民党幹事長室で、

「あのくそじじい、ぶっ飛ばしてやる」

と大声を出し、いきなり立ち上がって、参議院議長室に走り出した。そうしたら筆頭副幹事長の二階堂進さんがあとに続いた。あの人も気性が真っすぐで血の気が多い薩摩隼人です。私はびっくりして2人を追って走り出した。3人でぜいぜい息せき切って議長室へ飛び込みました。

重宗さんが呆気にとられて、「角さん、どうした。血相変えて……」。そうしたら、角栄さんが一気にまくし立てました。

「おい、じいさん、お前さんは子供も孫も全部でき上がって、世の中に出てるからいいけど、自分の食うものもへずって、子供を学校に出して、カネを送っている親たちは、この先みんな大学がどうなるか、真っ青になっているぞ。講義を聞いて、進級し、卒業したい子供たちも今の騒ぎで大学に行けなくて困っているぞ。今すぐ本会議を開くベルを鳴らせ」

ところが重宗さんも負けていません。

「おい角さん、お前は意気がってそんなこと言って、たんかを切っているけど、おやじ(佐藤首相)はお前さんと違うぞ。そんなにしゃかりきになって、ぽっぽと頭から湯気なんて出していねえよ。考え違いするな」

そうしたら田中がまた、怒り出しましてね。

「それは総理もお前さんも同じ極楽トンボだからだ。いいから、とにかくベルを鳴らせ。時間がないんだ。四の五のぬかすと、じじい、この窓から下に叩き落すぞ」

さすがに重宗さんも、「まあ、そうがんがん言うな」と田中をなだめ、官房長官の保利(ほり)茂さんに電話しました。

「角さんがカッカカッカしてお手上げだ。しょうがないからベルを鳴らす」

法案が成立して、大学に静けさが戻りました。そして二度と再び大学にああいう反乱の大火事が起こることはなくなった。それが今に続いています。

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