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19世紀のフランスの政治思想家トクヴィルは、刑務所制度を研究するために訪米した。この訪米を機に生まれた著作が、かの有名な『アメリカのデモクラシー』である。同書では、米国が世界で初めて導入した民主主義制度を好意的に紹介している。
ただしトクヴィルは民主主義をもろ手を挙げて称賛したわけではない。むしろある疑念も持っていた。それは米国の民主主義が選挙で選ばれた多数派による独裁につながり、少数意見の抑圧をもたらすのではとの疑念だった。トクヴィルは、多数派でも無制限の権力を手にすれば、悲惨な終末を迎えると確信していたのだ。
多数派が支配する民主主義には制限が必要だ、とのトクヴィルの主張は後世で生かされ、英国では選挙で選ばれた政治家と特権階級の貴族とが政治の場で共存したほか、米国では今もなお憲法による権力の分離が徹底されている。
トクヴィルは米国で多数派の抑止力の源をもう一つ見つけた。宗教である。人間が民主主義を極端まで追求しようとする姿勢は、キリスト教信仰の姿勢によって緩和される。米国では民主主義と宗教が密接に絡み合ってきたのだ。
民主主義下での不寛容
しかし昨今の米大統領選の指名候補争いを見ると、トクヴィルの慧眼から逸脱してしまっているようだ。その象徴が、不動産王である共和党のドナルド・トランプ氏の旋風である。彼は宗教的な少数派を非難するなど、民主主義下での不寛容をはびこらせている。
トランプ氏のような扇動的な政治家が既存の主流派を苦しめている構図は、米国に限った話ではない。欧州の一部、トルコやイスラエルといった国でもよく見られる傾向である。
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