
アンガーマネジメントは、怒りの感情を否定するものではない。怒ること自体は悪いことではないし、怒るべきことに対してはきちんと怒ったほうがいい。しかし、怒る必要のないことに怒っても何も生み出さない。怒る必要がある時も、感情的になって必要以上に怒れば自分の心情が相手に伝わらないばかりか人間関係を壊しかねない。大事なのは、怒りの感情と上手に付き合うこと。そのための心理教育、心理トレーニングをするのがアンガーマネジメントの基本だ。
考えてみれば私たちは、怒りの感情の扱い方や表現の仕方を学んだことはほとんどないのではないだろうか。そのため、怒りの感情はコントロールできると聞いても、にわかには信じがたいかもしれない。だが、米国では2000年以降、アンガーマネジメントのプログラムが急速に普及し、さまざまな分野で取り入れられてきたという。一般社団法人日本アンガーマネジメント協会の安藤俊介代表理事が語る。
「アスリートがメンタルトレーニングの手法として採用していることも少なくありません。試合中に完全にリラックスしてしまっては集中力が切れてしまいます。一方、感情的になりすぎても普段のパフォーマンスを発揮できません。感情の上手なコントロールが結果につながるのです」。もちろん、こうした文脈はビジネスパーソンにも当てはまる。アンガーマネジメントを理解し、トレーニングによって怒りの感情と上手に付き合うことができるようになれば、職場でのコミュニケーションにもプラスの効果が期待できるだろう。
イライラの背景にある
価値観の多様化
では、具体的にどうすればいいのだろうか。一例を挙げれば、日本アンガーマネジメント協会では「6秒ルール」を提案している。諸説あるが怒りの感情は、イラッとした瞬間から6秒間がピークで、それ以後はだんだん沈静化していくというのである。そのためイラッとしたときにはまず6秒をカウントすると気持ちが落ち着き、冷静な判断ができるようになるというわけだ。
このほかにもさまざまな技法や対処法がある。怒りという感情にきちんと向き合い、学び、トレーニングを受けることで、自分の怒りをコントロールすることを目指している。現在、そうしたアンガーマネジメントの研修を導入する企業が急増している。研修内容は企業の要望に応じて異なる場合もあるが、アンガーマネジメントについての説明、怒りの感情に対する向き合い方、怒っている人への対処法、多様な価値観の人がいる中でどう働いていけばいいのか、ということを学び、具体的な手法をトレーニングするのが基本だ。
日本アンガーマネジメント協会による研修の受講者数は、同会が活動を開始した2012年は年間8000名ほどだったが、翌年には約1万5000名、14年には5万名強と倍々ゲームの勢いで増え、15年にはついに10万名を突破した。

導入企業増加の背景として、価値観の多様化が挙げられる。たとえば、私たちは「~すべきである」「~すべきでない」という自分の価値観に対立する言動と遭遇した時、怒りの感情が起きやすい。一方、グローバル化が進み、ダイバーシティを推進する企業が多くなっているため、自分とは異なる文化的背景や価値観を持つ人間と仕事をしたり付き合ったりする機会が多くなった。ビジネス環境もすさまじいスピードで変容している。すると、さまざまな「べき」がぶつかることにもつながるということだ。
導入企業の実例
野村證券
9割以上の参加者が評価したアンガーマネジメント研修
人権啓発室長
前田 暁史氏
野村證券は昨年、約1万3000名の全社員を対象にしたアンガーマネジメント研修を行った。その目的について研修を企画した同社人権啓発室の前田暁史室長はこう説明する。
「社員を対象にした人権研修は毎年行っているのですが、日常の言動を反省するという切り口のアンガーマネジメントは効果が期待できましたし、『機嫌で怒らずルールで怒る』『怒りの連鎖を断ち切ろう』という日本アンガーマネジメント協会の考えにも共感することが多くありました。『お互いのべきを許容する、あるいは許容範囲を広げる』ことはコミュニケーションの根本ではないでしょうか」 狙いは、当たった。研修後のアンケートでは参加者の9割以上が「参考になった」と回答。この機に、理解をより深めていくことが大切と考え、同社は今年もアンガーマネジメント研修を継続して行うことを決めた。
「プログラムの作成にあたり、私どもの要望に協会は柔軟に対応していただきました。何よりも、皆がそれぞれにさまざまな感情をコントロールすることが、働きやすい職場づくりにもつながると期待しています」と、前田氏は大きな手ごたえを感じているようであった。
もはや怒りのコントロールは
経営上の重要課題だ
だが、怒りの感情をコントロールできないと、コミュニケーションに支障をきたす。パワハラも起きやすくなるだろう。職場がぎすぎすした雰囲気になれば、士気やモチベーションに悪影響を及ぼし、生産性の低下にもつながる。働きやすい職場作り、あるいはメンタルヘルスという面からも、従業員が怒りの感情をコントロールできるようにすることが大きな意味を持つことに、多くの企業が気づき始めたとも言えるだろう。
「たとえばある介護施設では、アンガーマネジメントを導入したことで、職員がイライラとした感情のコントロールを意識するようになり、利用者とのコミュニケーションが円滑になったと聞きました。その結果、職員のストレスが軽減し、離職率まで低下したということです」と安藤氏は紹介する。
こうしたストレスマネジメントという視点からも、その対策の一つとしてアンガーマネジメントが注目され始めているのだ。ストレスチェックが義務化され、何とかしなければと対策を模索する企業が増えている。そうした課題が、受講者数の推移に反映されているのだろう。
もちろんアンガーマネジメントの研修は、専門家の協力がなければできない。日本アンガーマネジメント協会の養成講座を受講し、アンガーマネジメントファシリテーター(FT)の資格を取得した人は約1400名。アンガーマネジメントは教育分野でも注目されており、子供を対象に教えるアンガーマネジメントキッズインストラクター(KI)の有資格者も約1600名いる。FTもKIも全国にいるので、協会を通せば地方での研修も可能だ。
感情的に怒りを爆発させたら、相手だけでなく自分も傷つけてしまう。一方で怒りを我慢し、ため込み続けるとメンタルの不調を引き起こしかねない。経営上の重要な課題として、マネジメント層は従業員の怒りのマネジメントを考える時期に来ているのではないだろうか。
アンガーマネジメントで
生産性を高める方向に
日本アンガーマネジメント協会
代表理事
安藤 俊介
―アンガーマネジメントという考え方はいつ頃からあるのでしょうか。
安藤 1970年代に米国で開発された心理トレーニングが始まりです。現在米国では企業や行政機関、教育機関などで幅広く取り入れられています。
―ご自身も米国で習得されたそうですね。
安藤 ニューヨークに本部のあるナショナルアンガーマネジメント協会には1500名以上のファシリテーターがいます。私は、最高ランクであるトレーニングプロフェッショナルに選ばれています。
―日本アンガーマネジメント協会は2011年の設立ですね。
安藤 日本でもアンガーマネジメントの普及が必要だと考えて立ち上げました。現在は企業や学校などを対象にした講座や研修の実施と、アンガーマネジメントファシリテーターの育成に力を入れています。研修は、長期的なアプローチで怒りにくい体質にする「体質改善」と、テクニックを駆使して怒りを素早く処理する「対処術」が二本柱になります。
―怒りのコントロールが企業に必要なのはなぜですか。
安藤 喜怒哀楽の中で怒りは、人間関係を壊してしまう危険のある感情です。たとえば、感情に任せて怒ればキャリアも壊してしまいかねませんし、パワハラで裁判になれば企業の信用も破壊してしまうことがあるのです。また怒りの感情はストレスがあると大きく発現し、生産性の低下や従業員の職場放棄などの問題につながります。一方、現在の若い人は怒られることになれていない方が多いですが、アンガーマネジメントを学べば怒る側にも怒られる側にもプラスに作用します。実際、米国では欠勤率の低下などの成果が報告されています。
―研修に対する企業からの引き合いや申し込みが急増しているそうですが、ストレスチェックの義務化と関係あるのでしょうか。
安藤 ストレスチェックの義務化については、後ろ向きにとらえる企業も少なくありません。しかし、アンガーマネジメントの手法を身に付けることで、上手に感情をコントロールすることができれば、プラスの作用につなげることが可能になります。スポーツの世界では、怒りの感情をポジティブに転換するすべを身に付けるトレーニングがパフォーマンス向上に寄与しています。ストレスチェックの義務化をきっかけとして、アンガーマネジメントを導入し、生産性を高める方向に進む企業が増えることを願っています。
―企業向けの研修はどのような内容ですか。
安藤 90分から2時間程度の短時間研修と、4時間以上の1日研修という2タイプがあります。ただ実際に研修を行う前にはスタッフが企業を訪問し、ご要望や条件などをお聞きして、カスタマイズすることも可能です。
いずれにしても1回で終わるのではなく、継続的にフォローアップしていくことで、より高い効果を得られるようになります。
