著名企業の創業者3人「飯田兄弟」何がスゴいのか それぞれセコム、オーケー、天狗を始めた

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1958年に岡永商店の小売部門として、東京・上板橋に食品スーパーマーケット「オーケー」1号店を開店。1967年、岡永商店から独立してオーケーを設立し、代表取締役社長に就任した。

首都圏を中心に展開するオーケー(撮影:今井康一)

「高品質・Everyday Low Price」を掲げ、地域一番の安値を目指すと同時に「Everyday Low Cost」を推進した。そのため、スーパーとしてはいち早くコンピューターを活用し、自動発注システムを導入。品質・鮮度にもこだわり、できるだけ正確で、正直な商品情報を顧客に知らせる「オネスト(正直)カード」を表示した。

2023年10月には銀座にも進出。ここでも「銀座価格」にはせず、 「高品質・Everyday Low Price」を貫き話題を呼んでいる。2024年11月には関西地方の1号店を大阪府東大阪市に出店する。晩年までイノベーターとしての意欲は衰えなかった。

取材者が感じた飯田兄弟の「共通点」

筆者は「兄弟」という切り口で、飯田兄弟各氏にインタビューした経験がある。

兄弟だから似ていると言えば当たり前だが、江戸っ子の粋が伝わってくる雰囲気があった。偉そうにしている感じはまったくない、かといって、へりくだっているわけでもない。人を包み込むような何かがある。筆者も多くの経営者に会って来たが、最近、こういうタイプの経営者がいるようでいない。

当然、社内では厳しい一面を見せることもあるだろうが、筆者も含めて社外の人を迎えた時の飯田兄弟各氏の印象は、頭の回転が速く、ホスピタリティに富んでいた。そして、商人道を言葉にする表現力に長けていた。

飯田兄弟の優れた思考力と表現力、そして、商人(企業家)として必須の構想力と実践力を磨く上で、父・飯田紋治郎氏から受けた影響が大きかったようである。

岡永は1884年(明治17年)に「岡本屋」として創業。初代の飯田永吉氏が味噌・醤油・酒の小売業を日本橋馬喰町で始め、2代目の紋治郎氏が屋号を「岡永商店」に変え卸売業に転業した。飯田兄弟の父もたんに親の事業を後継するだけの世襲経営者ではないイノベーターだったが、日本橋商人の心構えは死守した。息子たちにも口を酸っぱくしてそれを教え込んだ。

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