創価学会を急成長せた池田大作と会員の「絆」 彼を「カリスマ」と捉える風潮への体験的異論

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池田氏は可能な限り一人ひとりを見ようとしてきた。同氏は「一日の中で何人の学会員を一対一で直接激励するか。私はそれだけに努めてきたといっても過言ではない」とまで言っていた。そこにはカリスマ的なイメージとは異なる池田氏の人となりがある。繰り返しになるが、肝は「一対一」である。マスではない。集団ではないのだ。

他方で、国税調査が入るという話が出たときや、国会に証人喚問されそうになったときなどに池田氏が周章狼狽したり、彼の尊大を思わせるエピソードを私もそれなりに読んだり聞いたりしてきた。人にさまざまな側面があることは当然だが、そういった面の紹介はここでは行わない。この記事の焦点はあくまでも「池田氏が組織拡大をなし得、また学会員に愛されてきた要因の一つ」を明らかにすることにあるからだ。

学会員一人ひとりには、池田氏との原点がある。創価学会は、だから強いのだ。皆が池田氏と「直」に、「一対一」で絆を結んでいるという感覚を持っている。決して、共通の命令を共有しているわけではない。それゆえに学会員は、個々別々の目的に向かって「自主的に」「内発的な動機で」頑張れる。

この点を見ずして、池田氏のカリスマ性に惹かれた学会員が一糸乱れぬ形で命令に従っている状況を想像してしまうと、実像を誤って理解することになると私は思う。

「カリスマ」にさせられた面

だが、池田氏亡き後は同じようにいかない可能性が高い。生(なま)の池田氏と絆を結ぶ機会はもうない。そういった原点を持つ学会員の多くは高齢化している。青年層の人数は先細りしていくばかりである。

創価学会の体力が落ちていることは、公明党の国政選挙での得票数(比例選)が、2005年の898万票をピークに2022年には618万票まで急減したことからもうかがい知ることができる。衰退の流れは今後も続くだろう。

とはいえ、創価学会は実はすでに「ポスト池田」体制、すなわち集団指導体制に移行している。そのため、マスコミでささやかれるような“クーデター”はまず起きないと私は考えている。巷間言われる“学閥争い”も実際には学会内に存在しない。創価学会は静かに衰退していく。当然、このまま何もしなければの話ではあるが。

学会員は(特に学会幹部は)良くも悪くも池田氏を頼りにしすぎてきた。そのツケがいま表れている。先に私は、池田氏の個性にもカリスマの源泉があると書いたが、同時に池田氏は学会幹部などにカリスマに「させられた」とも思っている。

前述した「ハイル・ヒトラー」的な挙手の文化。それは創価学園をはじめ学会の各所で見られるものだが、元はと言えば、それは池田氏の「反応は元気よく」という指針に由来するらしい。池田氏を師と仰ぐ弟子(=学会幹部等)が忖度し、極端に振れ、一斉挙手という作法にまで結実したのだ。また、学会の女性は重要な集会などでパステルカラーのスーツを着る。遠くから見るとそれが花畑のように見えるのだが、この“伝統”も、元はある集会で池田氏が「女性の服装が地味だな」と語ったことに由来すると聞く。

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