習近平が消した中国「もう1つの道」李克強の無念 心臓発作で急死、影が薄かった首相の10年間

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首相就任後の2014年に、李克強氏は天津で開かれた夏季ダボス会議で自ら「7、8月の電力消費量、貨物運送量などの変化が国際的な注目を集めているが、まだ合理的な範囲にあると見ている」とコメントするしゃれっ気を見せた。こうしたセンスも西側受けする要素といえるだろう。

中国経済については、一貫して民営企業の振興と市場化、国際化を呼びかけてきた。首相就任の前年、2012年の2月に世界銀行は中国の政府系シンクタンクである国務院発展研究センターとの連名で「2030年の中国」と題する報告書を公表している。

当時、李克強氏の指示でまとめられたと報じられた報告書には、現在にいたるまで必要とされる中国経済の改革メニューがそろっていた。

(1)市場経済への移行完了、(2)開かれた技術革新の加速、(3)環境に配慮した投資を開発の推進力とする「グリーン成長」への転換、(4)保健、教育サービス、雇用などをすべての人が享受できる体制づくり、(5)国内財政制度の近代化と強化、(6)中国の構造改革と変化を続ける国際経済とを結びつけることによる相互利益の追求――といったものだ。

その内容は、当時の温家宝首相が翌月に全人代で行った政府活動報告にも色濃く反映された。この時点で、経済改革について中国の指導者と西側は同じ方向を向いていたわけだ。米中対立が顕在化する前、中国は豊かになれば開放的になると多くの人が信じていた最後の時期である。

空振りだった「リコノミクス」

2013年に経済運営の司令塔である首相に就任すると、李克強氏は改革路線を鮮明に打ち出した。当時、中国の内外でもてはやされた「李克強経済学(リコノミクス)」は、①財政出動の抑制、②過剰融資の是正(デレバレッジ)、③産業構造の改革と生産性向上、の3つを柱としていた。

生産年齢人口の減少などが、中国経済の先行きに暗い影を落とし始めたころだ。持続可能な発展を可能にするため、リコノミクスには大きな期待が寄せられた。

ところが、1年もたたないうちに李克強氏のプレゼンスは大きく低下する。曲がり角は、2013年11月に開かれた「三中全会」だ。中長期の主要な経済政策方針などを決める5年に1度の重要会議である。

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