エスニック国道沿い「大泉」サンバの町に変貌の訳 1996年、「町の人口」の1割が外国籍の人になった
「日本にやってきて、自分がガイジンだってわかった」
ブラジルにいるころは自分のことを日本人だと思っていたパウロさんは、日本に来て学校に通いはじめると「ブラジル人、ガイジン」と疎外された。
これは多くの日系人が体験したことで、日系2世の幕田マリオさん(49)も同様だ。出稼ぎというよりも、父祖の地を見たい、いったんブラジルに移民してきたものの日本に帰っていった祖父に会いたいという気持ちで日本にやってきた。
太田にある積水ハウス関連の会社で壁の組み立ての仕事をしていたが、同僚の日本人からはことあるごとに名前ではなく「ガイジン、ガイジン」と呼ばれた。社員旅行や忘年会は「ガイジンさんは行かないよね」と、はじめから拒絶された。幕田さんが述懐する。
「僕はブラジルにいたとき、日本料理を食べていたんです。福岡出身のおばあちゃんが、味噌や豆腐、餅とかを家でつくってくれて。おばあちゃんとの会話は日本語だったし、両親も日本人で、自分のことは日本人だと思っていたんです。でもね、日本にやってきて、自分がガイジンだってわかった。それがショックだった。アイデンティティがなくなった」
ずっと憧れていた先祖の国、自らのルーツがある国の、それが現実だった。
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