データで把握した実態に基づいて議論する

どのような人が大学で教員免許を取得し、教師として採用されてきたのか。

そんな基本的な問いに答えるデータを取らないまま、日本の教員政策は議論されてきた。データによる日本全体に関する実態把握が薄いまま新しい政策が打ち出され、その影響を検証しないまま次の議論に移る。「教育改革をやっている感」の演出にはなっても、何がどう具体的に改善されたのか、妥当な手法で明らかにされることはない――戦後日本で何度も繰り返されてきた「やりっ放し教育行政」である(詳細は拙編著『教育論の新常識』〈中公新書ラクレ〉参照)。

小学校から高等学校までの年齢層を対象とした学校で勤務する教師数をすべて合算すると約100万人いる。どれだけ多くの学校を訪問したところで、個人で全体を把握することはできない規模である。教員政策の柱である大学の教職課程と教員研修の「改革」案を議論する際、一部の地域や有名な学校のエピソードではなく、日本全体の教師の実態をデータで捉える必要があるのである。

そのような問題意識に基づいて、2022年3月、文部科学省の委託研究として『教師の資質能力の育成等に関する全国調査』(以下、全国教員調査)が浜銀総合研究所によって行われた。「どのような特性の人たちが教師になってきたのか」を把握するための初の全国調査である。この試みは、文科省、教育委員会、研究者、そして多忙にもかかわらず回答してくださった学校管理職と教員の皆様の協力で可能となった。調査設計などに関わった私は、基礎分析の結果を10月に中央教育審議会の「“令和の日本型学校教育”を担う教師の在り方特別部会基本問題小委員会」で発表した。

「『教師の資質能力の育成等に関する全国調査』の基礎分析」(令和4年10月6日)

どのような人が教師になってきたのか

小中学校、高校に通う児童生徒はさまざまだが、教師になる人たちは「同級生」の中でも一定の傾向を持つ人たちである。

松岡亮二(まつおか・りょうじ)
龍谷大学社会学部社会学科 准教授
ハワイ州立大学マノア校教育学部博士課程教育政策学専攻修了。博士(教育学)。東北大学大学院COEフェロー(研究員)、統計数理研究所特任研究員、早稲田大学助教・専任講師・准教授を経て、2022年度より龍谷大学准教授。日本教育社会学会・国際活動奨励賞(15年度)、早稲田大学ティーチングアワード(15年度春学期、18年度秋学期)、東京大学社会科学研究所附属社会調査データアーカイブ研究センター・優秀論文賞(18年度)、WASEDA e-Teaching Award Good Practice賞(20年度春学期)、早稲田大学リサーチアワード「国際研究発信力」(20年度)を受賞。著書『教育格差:階層・地域・学歴』(ちくま新書)は、1年間に刊行された1500点以上の新書の中から中央公論新社主催の「新書大賞2020」で3位に選出された。22年12月時点で16刷、電子版と合わせて6万8000部突破。編著に、中村高康・松岡亮二編著『現場で使える教育社会学:教職のための「教育格差」入門』(21年ミネルヴァ書房)、松岡亮二編著『教育論の新常識:格差・学力・政策・未来(21年中公新書ラクレ)』
(写真:松岡氏提供)

基本的には、大学の教職課程への進学を自ら望み、授業に出席して単位を修め、教育実習を含めた要件を満たして免許を取得し、自治体や私立校の採用試験に応募し、選考を通らなければならない。換言すれば、本人が大学入試と採用試験を受けるという2つの選択をしたうえで、それぞれの選抜で一定のラインを超えなければ教員として採用されることはない。自己と他者による選抜というふるいにかけられているので、職業集団としての教員は、各年齢層の「平均的」な人とはならない。

事実、全国教員調査の結果(暫定値)によると、正規任用教諭の出身家庭の社会経済的地位(Socioeconomic status、以下SES)は、ほかの職業の人たちと比べても比較的恵まれていた。当然、この数値が示すのは職業集団としての平均像にすぎないので、非常に社会経済的に恵まれた家庭出身者もいれば、困難を抱えながらも教職に就いた人も含まれる。

ただ、全体として教師は大学進学層でもあるので、20代~50代のどの年齢層であっても社会経済的に恵まれた家庭の出身者が多かった。保護者(父母)が教師だと本人も教師になる世代間職業再生産の傾向も強かった。

教師の子ども時代の学校経験も、小中学校の「同級生」全体の「平均」とはいえない。例えば、教職以外に就いた同年齢層と比べて、中学3年生時点の学力の自己評価が平均的に高かった。また、全体と比べて、教師は中学生の時に学級委員(級長・クラス長)、生徒会役員、部活の部長などの経験者が多かった。さらには、中学3年時に大学進学するつもりだった割合がどの年齢層でも約8~9割だった。

これらは教師以外の職に就いた大卒者層と比べても明確に高い。教師については年齢層による違いはあまりないので、とくに大学進学率が低かった40代や50代ではかなり進学熱の高い層だったといえる。

総じて、現行の学校教育と親和性が高い人たちが教職を選び採用されてきたといえる。一方、日本全体の児童生徒はさまざまである。教員が社会全体の中で「ふつう」ではないことそのものが悪いわけではない。ただ、少なくない児童生徒は、社会経済的に恵まれない家庭出身で、保護者(親)が教師ではなく、中学3年生時点の学力(の自己評価)は低く、中学校でリーダーシップ経験を持たず、大学進学を希望せず、大学に進学しない。これらの経験を多くの教師が持っていないのも事実といえる。

今後、大学進学率が微増するにしても、児童生徒の約4割は4年制大学に進学しないわけで、教師自身とかけ離れた人生を送ってきた親や大学進学を選択肢に入れない児童生徒に教師が寄り添うためには、経験の欠落を知識で埋める機会が必要なはずである。

しかし、大半の大学の教職課程では教育格差に関して体系的に教えていない。全国の大学を対象とした研究によると、社会経済的な課題を教職課程の中で最も扱っていると考えられる選択必修の「教育に関する社会的、制度的又は経営的事項」に関する科目であっても、まともに扱っている授業を提供している大学数は限られる。さらには、科目としてまともに扱っていないだけではなく、体験する機会も提供されていないようだ。

全国教員調査の結果(暫定値)によると、教育実習を母校で行ったという20代の回答は46%で、私立大出身者だと大半は母校で実習している。さらには、「母校ではなく、母校より児童生徒の生活や学習の課題が大きい学校」での教育実習経験者は小中学校、高校の正規任用教諭で10%台にすぎない。学力偏差値別の高校だけではなく公立の小中学校でもSESによる学校間格差があるので、母校や母校のSESと似た学校での実習では教育格差と向き合う機会として不十分なはずだ。また、日本全体を把握するデータはないが、現職教員に対する体系的な教育格差の研修についても聞いたことがない。

さらには、全国教員調査の結果(暫定値)によると、国の場当たり的な2つの教員政策によって、小学校教員になる難易度が学力の面で易化したようである。教員になるのがかなり難しかった40代や50代の教員の経験に基づいた研修の内容では、若年層の成長を手助けできない可能性がある。教師になる層の変容に対応して、上の世代よりかなり手厚い(研修を含む)支援が必要なはずだ。

「教育格差」を体系的に学ぶ科目と研修を必須とすべき

大学入試と採用試験という2つの選抜を行う以上、教師の多くが学校教育と親和的で、恵まれない「生まれ」の児童生徒と同じ経験を持っていないことは当然であり、個々の教師の責任ではない。また、教育実習を含めた教職課程と教員研修で「生まれ」によるさまざまな困難について学ぶ機会が提供されていないことも、個々の学生や教師の責任ではない。教員政策による小学校教員になった層の変容も、個々の教師の責任ではない。これらはすべて政策の課題である。

すべきことは多いが、短期的に実施可能なことは、全国教員調査のデータが描く教師像を前提に、すべての子どもに寄り添い伴走する教師の養成を目標として、教職課程で「教育格差」を科目として必修化することである。また、現職の教員、学校管理職、それに教育行政官に対しても、それぞれの勤務自治体や学校の実態を題材にしながら、「教育格差」を体系的に学ぶ研修を必須とすべきだ。

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もっとも、すでに教職課程の単位数は多いし、現職の教育関係者も多忙である。現時点でも、保護者(親)の学歴で子どもの学習意欲に格差があるといった断片的な情報であれば多くの教職課程や教員研修のどこかで言及されているかもしれない。しかし、その程度の情報の聞きかじりでは、むしろ、学習意欲を見せず反抗的な態度を示す児童生徒に対して「親が高卒だから」といった負のラベルを脊髄反射的に貼ってしまっても不思議ではない。

「なぜ、どのようにして、出身家庭のSES、出身地域、性別といった子ども本人が選べない初期条件である『生まれ』によって教育の結果に差があるのか」について、ある程度の期間をかけて体系的に学ぶ必要があるはずだ。

では、具体的に何を学べばいいのか。この問いに答えるために、構想5年をかけて16人の教育社会学者で『現場で使える教育社会学:教職のための「教育格差」入門(ミネルヴァ書房)』をまとめた。教育現場で有用になりうる教科書にするために、5時間の公開オンラインイベントを8回行い、現職の教員や大学生など延べ500人以上から草稿への批評を受け、改稿を重ねた。1人で読んでも多くの発見があるはずだが、大学の授業や教員研修として読書会形式をとれば、自分の知っている「現場」において「どのようにデータと研究知見を応用し実践できうるのか」を言語化できるようになるはずである。

(注記のない写真:Fast&Slow / PI)