藤原道長の家から始まる「紫式部日記」
当時にしては例外的なほど漢詩や漢文に詳しく、そのことに過剰ともいえるコンプレックスを持っていた天才女性作家、紫式部。2024年の大河ドラマはそんな彼女が主人公らしい。なかでも藤原道長との関係性が主軸として描かれるようである。
それでは『紫式部日記』において、藤原道長はどのような存在としてつづられているのだろう? 大河ドラマを予習するため、『紫式部日記』藤原道長登場シーンを読んでみよう。実は現存する『紫式部日記』の冒頭は、中宮彰子の出産のため藤原道長邸にいる場面。そう、紫式部の日記は、道長の家から始まるのだ。
秋のけはひ入り立つままに、土御門殿のありさま、いはむかたなくをかし。池のわたりの梢ども、遣水のほとりの草むら、おのがじし色づきわたりつつ、おほかたの空も艷なるにもてはやされて、不断の御読経の声々、あはれまさりけり。
やうやう凉しき風のけはひに、例の絶えせぬ水のおとなひ、夜もすがら聞きまがはさる。
(※以下、原文はすべて『紫式部日記 現代語訳付き』(紫式部、山本淳子訳注、角川ソフィア文庫、KADOKAWA、2010年)
<筆者意訳>秋の気配が濃くなるにつれ、道長さまのお邸の様子は、美しくなる。言葉にできないくらい。池のほとりのこずえたち、庭の遣水に茂る草々、それぞれが色づいている。空もたいてい鮮やかに広がる。安産祈願のお経を唱える声もずっと聴こえてくるけれど、こういう情景の中だといっそう素敵に響いてくる。
夜になるにつれ、風はすこしずつ涼しくなってくる。いつものとおり、せせらぎはずっと流れている。風の音と水の音が混ざり合った音は、夜更けまで、ずっと私の耳に届く。
日記として、素敵なことこのうえない書き出しではないだろうか。『枕草子』と並べても遜色ない「をかし」な情景描写である。紫式部にとって道長の邸で過ごした日々は、華やかな儀式に沸き立つものというより、こういうちょっとした秋のお庭の美しさに魅入られたものだったのだろう。邸の描写をしようとして、まず華やかさではなく秋の優美さを綴るあたり、小説家らしさも見られる。
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