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ミル「自由論」が早くも明治初頭に邦訳された意図 「儒教・仏典・武士道」の日本で必要とされた知性

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『自由論』は、ミルが「どうして私はおのれの愚かさを抑制し、知性の活性化に成功したのか」という経験知を公開したものだ。

ミル『自由論』書影

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・『自由論』とは?
『自由論』は英国の哲学者・経済学者、ジョン・スチュワート・ミル(1806~73)の1859年の著作。米国の建国によって、欧米の人たちは「民主主義社会においても、市民的自由と社会的統制の間には矛盾が発生する。市民の自由は、どういう基準でどこまで抑制することが許されるか」という、それまで(王政や帝政の社会では)考える必要のなかった難問に直面することになった。『自由論』はその難問に対する原理的な考察である。ミルがこの本を書いてからもう150年以上経ったけれど、残念ながら、私たちはいまだにこの難問の答えを見いだしていない。

いちはやく邦訳された『自由論』

ミルの『自由論』は名前だけはよく知られているが、あまり読まれることのない古典である。現に、私はこの本を「座右の書」に挙げた人にこれまで会ったことがない。

でも、この本は明治5(1872)年に啓蒙思想家の中村正直(まさなお)が『自由之理』として翻訳した。ミルの存命中だから、たいへん早くに紹介されたことになる。この本を明治の日本人に読ませる緊急性があると中村は確信していたのだと思う。

ミル存命中にあたる明治5年に、現在の『自由論』を邦訳した啓蒙思想家の中村正直(写真:近現代PL/アフロ)

もちろん、その時代の日本にとって国家的急務は「近代化」である。中村はこれを日本近代化のために必須のものと考えて選書したのである。

けれども、壮図むなしく、ミルの成熟した政治的知見はついに日本の政治風土には定着しなかった。定着していれば、近代日本の政治史はもっと穏やかなものになっていただろうし、戦争に負けることもなかっただろう。

だから、この本に書かれていることは明治の日本人にとって実は「かなり理解しにくいこと」だったということになる。でも、読めばわかるが、ミルが説いているのは「ものすごく当たり前のこと」なのである。ただし、「大人にとっては」という限定条件がつく。

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