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いつか母に「ありがとう」と伝えたかった。母とは子どもの頃から激しいケンカを繰り返していたけれど、心の底ではいつか和解をするつもりだった。なのに母が急死してしまい、ただただ、無念で苦しい――。取材応募フォームからこんなメッセージが寄せられました。
幼少期から母親とふたりで暮らしてきた潤也さん(仮名、50歳)。小学校の頃は周囲の「かわいそう」という視線に過敏で、怒りやすく、すぐ手が出てしまう少年でしたが、幸いにも周囲の友達や大人たちは、そんな彼を受け入れてくれていたといいます。
その後、潤也さんはどんな人生を送ってきたのか。前編に続き、聞かせてもらいました。
道路の真ん中を車に向かって歩いた
家の経済状況はつねに厳しかったようです。当時は女手1つで子どもを育てることが、今よりさらに困難な時代でした。
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小学生の頃、同級生たちが「給食のパンをすごくくれる時期があった」のは、おそらく潤也さんの家庭の状況を察したのでしょう。みんなが冗談めかして渡してくるパンを、潤也さんは「いるか!」とキレながらも、何度か持ち帰ったそう。
「そのときは母も『ありがたいね』と言って食べていたような気がします。たぶんみんな、おそらく先生に言われて。『余るんだったら、あげて』っていう優しさだったと思うんですけれど。僕はそういう好意も素直に受け止められず、へんな形の怒りで返していて」
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