「外なる物差し」が陳腐化、「内なる物差し」が必要不可欠に

――人生100年時代を迎えた今、これから子どもたちがキャリアを築いていくうえで、どのような学びの姿勢が必要だと考えますか。

受験も勉強も教えない。その代わり、もっと知りたい、やってみたいという好奇心や探究心に火をつけることをうたう探究学舎 代表の宝槻氏。探究学舎は2011年に開校以来、19年からはオンライン授業もスタートし、現在までに延べ1万人が受講してきた学び舎だ
(写真:探究学舎提供)

従来型の受験や個人のスペックを高める「能力開発」を自動車の片輪とすれば、もう1つの片輪である「興味開発」が、これからは重要だと考えています。興味開発とは、自分の興味・関心、好きなこと、やりたいことをクリエートしていくことを指します。誰かに与えられるのではなく、自分で内発的に創造していく力を養うこと。そういった学習プロセスが能力開発と並んで今、必要なのです。「能力開発」と「興味開発」の両輪があれば、どんな時代になっても自分で納得した人生のキャリアを切り開いていくことができる。それが現代的な意味での「幸せに生きること」につながっていくと考えています。

――この「興味開発」が、キャリア形成にどう生きるのでしょうか。

結論から言えば、人生を生きていくうえで「外なる物差し」と「内なる物差し」があり、とくに「内なる物差し」を満たす仕事に取り組んでいく、取り組み続けることが大事だと考えています。「外なる物差し」とは、収入や地位、名誉など世間的な成功を満たすものです。ただ実際には、その先に自分の心を豊かに満たしてくれるものはないということを、多くの大人はすでにこれまでの経験で知っているはずです。

一方、「内なる物差し」とは自分の主観的な意味での物事に対する評価であり、価値観や人生観といってもいいかもしれません。哲学的にいえば、「外なる物差し」は「持つ様式」であり、「内なる物差し」は「ある様式」ということになります。この「ある様式」を英語で言えば、「being(ビーイング)」ということになり、「ウェルビーイング」「ヒューマンビーイング」という最近重視されるようになった言葉でもわかるように、人間にとって最も重要なものなのです。

歴史的に見ると、資本主義社会では「外なる物差し」が強調されやすく、そのため、これまでは世間的な成功こそが幸福だという思い込みがありました。しかし、そこを求めるあまり「内なる物差し」を人々はおざなりにしてきたのです。

――人生100年時代という歴史上まれに見る長寿社会を迎えようとしている今、「外なる物差し」は陳腐化し、人はより「内なる物差し」に向かっているということでしょうか。

そうです。100年という時間軸を生きるということは、人が一度の人生の中で、さまざまな変化に遭遇することを意味します。しかし、さまざまな変化によって「外なる物差し」は、どんどん変わっていく。つまり、「外なる物差し」ばかりに頼っていては、どこかで行き詰まってしまうのです。だからこそ、どんな変化に遭遇しても耐えうる「内なる物差し」という自分の軸を持って生きていくことが必要不可欠になっているといえるのです。

子どもの頃から内発的欲求による学習体験を

――これからの社会は、どんな変化が起こるとみていますか。

国家や企業が主役の時代から、個人が主役となる時代が来ると考えています。それはITやインターネットをはじめとした情報革命によって、個人単位で簡単に物やサービスのやり取りができるようになり、個人が国家や企業といった組織を超えて、移動したり、つながったりできるようになったことが大きい。企業に所属しなくても、フリーランスとして仕事をつくる、個人が所得を得るというハードルがものすごく下がっているのです。

これから、このハードルはさらに下がっていきます。実際、コロナ禍によって、個人が働きやすいように企業は環境を整えていくという考え方が一般化し始めています。そうしたことに対する感度が低い企業は、今後淘汰されていく。それだけ今は、個人が強くなっているのです。今の時代を生きる人々の多くが、自由に個人の願望や期待をかなえていく未来を希求しているといえるでしょう。

――では、こうした社会を生きていくうえで、子どもたちはどんな力を身に付けていけばいいのでしょうか。

それこそ、好きなものを探究していく力だと考えています。そして、その力を育むものこそ「興味開発」なのです。では、どのように開発していけばいいのか。

例えば、子どもにとって、勉強は必要だが退屈なもの、ゲームは不必要だけど楽しいものだと思っているとすると、これからは「勉強する=事実に触れる、真実を理解する」というプロセスを楽しいものにすることが重要となっていきます。それが最も価値のある学習体験につながっていくのです。そもそも、退屈なことを自発的にやる人間はいません。楽しいから自発的にやるのです。「外なる物差し」を意識するあまり退屈なことばかりをしようとするから、人生はつまらないものになる。受験エリートはその最たるものかもしれません。

他方、「内なる物差し」によって自発的に学習をしたり、仕事をしたりしていけば、人生はそれだけ豊かなものになるのです。そのためにも、子どもの頃から内発的欲求による学習体験が必要になっているのです。

「驚き」と「感動」の学習体験を実現する3要素

――具体的にどのような学習体験をしていけばいいのでしょうか。

まず必要なことは「驚き」と「感動」です。驚きと感動こそが、楽しさを生み出すのです。この驚きと感動の学習体験を実現させていくために必要な3つの要素があります。

その1つ目が「ドラマツルギー」です。これは文字どおり、物語を面白くドラマチックに仕上げていくために必要な要素であり、多くの小説やドラマ、アニメ作品でも活用されているものです。このドラマツルギーの手法を子どもたちが勉強すべきものに活用していく。物語的に伝えていくことで、子どもたちに驚きと感動を与え、熱中したり、やる気を引き出したりすることができるのです。

2つ目が「ドライビングクエスチョン」です。これは「考えたくなる問い」を、物語的な学習体験の中に入れるということです。学習には「考える」「不思議に思う」「納得する」という体験が欠かせません。物語と学習体験の違いは「どう思うのか」「なぜそうなるのか」「何が違うのか」。そうした問い、クエスチョンをいかにつくるかにあるのです。

3つ目が「帰納的学習体験」です。これは演繹的と逆の意味で、事実を経験しながら、それらを統合する法則やコンセプトを自ら発見していくプロセスを指します。基本的に科学(サイエンス)は帰納的な考え方を採用しています。しかし、日本の教育の学習法は演繹的なものが多く、公式やマニュアルはその最たるものです。確かに演繹法は、たくさんの人間にノウハウをインストールするには有効なアプローチですが、そこに驚きと感動はありません。ところが、帰納法には試行錯誤があり、「なるほど!」という発見の喜びがあるのです。

――帰納的な方法論こそ、これからは重要であるということですね。

私は人生を生きること自体も帰納的であると思っています。演繹的に人生を知ることは面白くない。自分で体験し、内省して、気づいて、価値観をアップデートできるからこそ、人生は面白いのです。

そうやって自分で得た気づきが、例えば、かつて仏陀(ブッダ)が説いたものであったとしても、自分で本を読んでわかったつもりになるより、自身の体験によって深く腹落ちしたほうが理解は深まるはずです。さらに言えば、人生はドラマツルギー的であり、問いとともにあるともいえます。人生は物語のようなサイクルが何度もあり、そこにはいつも問いがある。

私は人生を生きていくうえで、誰しも大いなる3つの問いがあると考えています。それが「何のために学ぶのか」「何のために働くのか」「何のために生きるのか」だと思っています。実はこの問いに明確に答えられる人こそ、「内なる物差し」を持っている人なのです。「外なる物差し」しか持っていない人は、この問いに答えられない。

むろん人生に正解はありません。だからこそ、自分で納得できる解をつくっていくしかないのです。私たち探究学舎が「興味開発」によって、子どもたちの好奇心や探究心を育もうとしているのも、それが子どもたちのよりよい学びを実現するだけでなく、よりよい人生を生きていくために必要なものだからなのです。

役に立つか、役に立たないかの観点を手放すこと

――では、「興味開発」を生涯にわたって続けていくにはどうすればいいのでしょうか。

大事なことは、役に立つか、立たないかという観点を手放すことです。確かに何かの役に立つと考えなければ、やる気が出ない人もいるかもしれません。しかし、「興味開発」「内なる物差し」という視点から学習体験を考えたとき、それが将来どのように役に立つのか説明できることのほうが少ないのです。むしろ将来、人生を振り返ったとき、あの時のことが役に立った、あるいは、意外にもあの時のことが人生に意味をもたらしたというように、役に立ったかどうかは過去を振り返ったときに初めてわかるものなのです。

役に立つことは「機能的価値」を指しますが、もう1つ「情緒的価値」というものがあります。興味開発や自分の好きなものを追求していくことは、基本的に「情緒的価値」を追い求めることなのです。だから、機能的に役に立つことはそれほど多くないのです。

私は探究学舎の授業で「役に立つ」と言ったことはありません。私たちはあくまで子どもたちが「驚き」「感動」する場面にコミットしているのです。

――なるほど。しかし、役に立たないと多くの人は興味を示さないのではないでしょうか。

しかし、私たちはそれをビジネスとしてきちんと成立させています。確かにこれまでの社会なら「役に立つ」と言わなければ誰も買ってくれませんでした。いわば、「外なる物差し」で評価できないものは、これまでビジネスとして成立しなかったのです。

ところが、時代は変わった。「驚き」と「感動」を提供する学習体験というビジネスが市場原理を勝ち抜き、成り立つようになった。これまでビジネスとして無理だと思われていたものがどんどんビジネスとして通用するようになっているのです。人生100年時代を生きるとは、さまざまな変化によって価値観が変動していく時代を生きるということなのです。

――宝槻さんご自身の人生100年戦略とは何でしょうか。

私は、今語ってきた理念や考えを死ぬまで貫いていきたいと考えています。ただ、自分が生きているうちに、自分の期待や願いがかなうとは思っていません。それは、人生はバトンリレーだと考えているからです。私も先人たちからたくさんのバトンを受け取ってきたことで、今の仕事に取り組むことができた。私も100年の人生を生きて、次世代にバトンリレーできれば、少しだけ社会は前進できるかもしれない。そう思っています。

宝槻泰伸(ほうつき・やすのぶ)
探究学舎 代表/ワイズポケット 代表取締役社長
「探究心に火がつけば子どもは自ら学び始める」がモットーの教育を実践する父の下に育つ。「学ぶことは楽しいこと」という原体験を得る一方、その感覚を学校では味わうことができずに高校は中退。兄弟2人も高校に進学しなかったが、3人とも大検(現在の高等学校卒業程度認定試験に当たるもの)を取得して京都大学に進学する。大学卒業後はすぐに起業。小学・中学・高校・大学・職業訓練校・民間企業など、さまざまな場所で講師として活動。幅広い年齢に対して提供する授業や研修は、世代を問わず聴衆を引きつけると評判になる。2011年探究学舎を設立。5年間の研究開発を経て、現在の子どもたちの「もっと知りたい!」「やってみたい!」という探究心に火をつける興味開発型の教育を確立する。5児の父
(写真:探究学舎提供)

(文:國貞文隆、注記のない写真:IYO / PIXTA)

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