以前、「『カウンタックとボーラ』の似て非なる盛衰」でも書いたように、今年は1970年代を代表するスーパーカーのアニバーサリーイヤーとして大いに盛り上がっている。
今回は、そういったインパクトの強いモデルの陰に隠れて生誕40周年を迎える、ある重要なモデルについて取り上げてみたい。今回のお題は、マセラティ「ビトゥルボ」である。
ビトゥルボが生まれた1981年を振り返ってみよう。
この頃はまさに自動車、特にスポーツカーにとって逆風が吹き荒れていた時代だった。環境問題や安全対策への対応で、自動車メーカーは日々その対応に追われ、必要とされた巨額の投資に四苦八苦していたし、オイルショック以降、大排気量のスポーツカーのマーケットは縮小するばかりであったのだ。
特にフェラーリ、マセラティ、ランボルギーニの本拠地イタリアにおいては「鉛の時代」と称され、誘拐やテロが頻発した。高価なクルマに乗ることは「誘拐してくれ」とアピールしているようなもので、クルマに乗るだけでリスクを持つこととなった。
また、厳しい財政に苦しむイタリア政府は、こういったラグジュアリーカーに贅沢税をたっぷりと課した。2001cc以上の自家用車を購入しようとするなら、38%にも及ぶ取得税を払わねばならなかった。
自らの限界を打破するために
そんな中で、新たにマセラティの舵取りを任されたアレッサンドロ・デ・トマソは、2000ccクラスの小さな高級車を手頃な価格で売るという新プロジェクトに取りかかった。それがビトゥルボだ。
それまでマセラティは、3.0~5.0リッターの大排気量エンジンをベースとした高価なスポーツカーを主力としていた。
スタイリングからボディ製造までをトリノのカロッツェリアに任せていたから製造コストも高かったし、大量生産もできず、年間500台前後の販売がいいところだった。要は、そのようなビジネス構造がマセラティにとって、成り立たなくなっていたのだ。
ビトゥルボは、その伝統的なモデナのスーパーカーメーカーの作法をことごとく変えたモデルであった。小型のV型6気筒 2.0リッターエンジンを開発し、当時アメリカで大ヒットしていたBMW「5シリーズ」と同クラスのサイズとし、シンプルな2ドア4座のクーペボディと組み合わせた。
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