「思無邪」と書いて、「おもいよこしまなし」と読み下す。薩摩藩の名君・島津斉彬の座右の銘で、鹿児島県民なら誰もが知っているという。飾らず偽らない心、といった意味のこの言葉を題にしたのは、同じ鹿児島出身の「経営の神様」稲盛和夫・京セラ創業者の評伝である。筆者の作家、北康利氏に稲森氏をどんな人物とみるのか。
自分にも社員にも猛烈に厳しかった
──過去に多くの実業家の評伝を手がけてきました。今回、稲盛氏を取り上げた理由は。
評伝を書くのは労働集約的な作業で、年に1〜2冊が精いっぱいです。限られた時間で誰を書くか。それは「日本にとって今、何が重要なのか」が基準です。今回は稲盛氏の人生を通して、「人々が一生懸命働かなければ、この国は立ちゆかない」ということを伝えたかった。
稲盛氏はよく知られているように、猛烈に厳しい人です。現役の頃は毎朝洗面所で自分の顔を見て、「昨日は何をやったか。酒なんか飲んでしまって、ばかじゃないか」と深く反省するところから一日が始まったそうです。社員にもたいへん厳しかった。この厳しさに、中小企業の経営者は共感しています。お金を稼ぎたい、生産性を上げたいと思ったら結局、一生懸命考えて働くしかないからです。
それが今の日本では、働き方について何か誤解がある。一生懸命にならず「ほわっ」と仕事をしてもどうにかなる。そう若い人に誤解させているのではないか。
──働き方改革が、どう楽に働くかの議論に矮小化されている、と。
日本は人以外に資源がない国です。必死に働くことをよしとしなければ衰退します。労働生産性の向上を目指すという本来の働き方改革は、稲盛氏の「“ど真剣”に働く」「誰にも負けない努力をする」という言葉を否定するものではないはずです。
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