
さまざまな業界に新興勢力が続々と出てきている現代では、既存事業が駆逐されることも珍しくなくなった。そんな中で企業が生き残るためには、イノベーションを起こすよりほかない。では企業は、イノベーションにつながるナレッジをどのようにマネジメントしていけばいいのか。経営学者の紺野登氏に、ナレッジマネジメントの基礎について話を聞いた。
デジタル時代の「ナレッジマネジメント戦略」
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制作:東洋経済ブランドスタジオ

紺野 登 多摩大学大学院経営情報学研究科教授。1954年生まれ。エコシスラボPartner、慶應義塾大学大学院SDM研究科特別招聘教授、博士(学術)。一般社団法人Japan Innovation Network(JIN) Chairperson、Futurte Center Alliance Japan(FCAJ)代表理事。デザイン経営、知識創造経営、目的工学、イノベーション経営などのコンセプトを広める。著書に『イノベーション全書』(東洋経済新報社、2020)ほか、野中郁次郎氏との共著に『知識創造経営のプリンシプル』(東洋経済新報社、2012) などがある
——イノベーション経営が注目されています。背景を教えてください。
紺野これだけ環境変化が激しい時代ですから、企業が従来の商品や事業だけで競争優位性を持続するのは難しくなっています。デジタル革新(DX)で新たな価値提供形態を模索したり、他社との協業関係で価値を実現したりするといった流れもある。こうした背景から、競争戦略からイノベーションに基づく経営に移っているんです。ところが多くの日本企業は、ビジネスの原理原則が変わったことに気づいていない。それゆえ、世界の熾烈なイノベーションで後れを取りがちになっているようです。経営効率の低さも指摘されています。
——なぜ日本企業はイノベーション経営へのシフトが遅れているのですか。
紺野ものづくりを大事にしすぎているからではないでしょうか。これまでの日本企業に多く見られた戦略は、優れたものの「機能的価値」の上にブランドやイメージなどの「意味的価値」をのせて付加価値を高めるというものでした。
しかし、この方程式はもう陳腐化しています。いま求められているのは、顧客や社会にとって本質的な「人間的価値」です。例えばコロナ禍でもそうでしたが、緊急性の高い人類の課題にどう対応するか。あるいは、人々のウェルビーイングをどう実現するか。そういった大きな目的を掲げて、そこに技術を活用して価値を生み出すことです。実際、世界には「人間の経営」を打ち出す企業が増えています。
そこで起点になるのが「共感」です。本質的な価値を生もうとするなら、人間そのものを理解しなければいけません。そのためには利他の心を持ち、相手の視点に立つ必要があります。日本企業に足りないのはそうした共感力ではないでしょうか。
——日本企業は、どうすればイノベーション経営を実現できますか。
紺野イノベーションを起こすときによく「失敗を恐れるな」と言われますが、実際は難しい。シリコンバレーの起業家だって、失敗を恐れています。ただ、彼らは「うまい失敗の仕方」を知っているんです。よくないのは、何年も事業を考えて準備をして、一気に参入して失敗してしまうこと。成功する起業家たちは、小さな失敗を重ねて試行錯誤する、いわゆるアジャイル型で目的を達成します。日本企業は「ちゃんと計画を立てないと予算が取れない」と言って最初にすべてを固めがちですが、それは企業側の都合。まず、この発想を変えてみるべきでしょう。
発想を変えるに当たり有効なのが、「デザイン思考」です。デザイン思考は共感や試行錯誤を前提にしているので、思い込みを脱ぎ捨てて新しいことを試すのにふさわしいと思います。

——デザイン思考は近年注目が高まっていますが、具体的なことがよくわからないという声も聞きます。
紺野デザイナーではない人が、イノベーションのために、デザイナーの方法を活用することと言えばわかりやすいでしょうか。具体的なプロセスとして、まず顧客を「観察」し、チームの対話で「アイデア創出」する。それをラフな模型などで「プロトタイピング」し、次に顧客を巻き込んで「ストーリーテリング」する。そして修正し観察する、といった繰り返しで、高速で価値を具現化していきます。
実はこのプロセスは、知識創造プロセスと対応しています。「共同化」(顧客現場で暗黙知を獲得)、「表出化」(対話によって暗黙知を形式知に転換)、「連結化」(伝達可能な形式知の創出)、「内面化」(顧客や組織成員への理解)というサイクルで知識を創造するモデルです。私がデザイン思考を推しているのも、この理論に裏付けられているわかりやすいツールとして使えるからです。

——イノベーションにつながる知識を、組織がどのようにマネジメントするかも課題になっています。日本企業のナレッジマネジメントをどのように見ていますか。
紺野日本企業のナレッジマネジメント(KM)は、1990年代で止まっている印象があります。80~90年代前半にかけて欧米でリエンジニアリングの嵐が吹いたとき、「システム担当者をリストラしたら、システムのことがわかる人が社内にいなくなった」などという弊害が起きてしまった。そこで「会社を去る前に知識を保存しよう」という考えから生まれたのが、ナレッジマネジメントです。具体的には、ITを使って知識ベースを構築してマネジメントすることが世界的に流行しました。これは失敗でした。
そのうちに欧米ではIT中心のナレッジマネジメントは薄れ、先ほどのように、どう組織間で知識創造を行うか、人間の知識資産を活用するかといった視点に変わってきた。しかし日本は当時のまま、ナレッジマネジメントが広がらずに止まっているようです。
もちろん日本企業も、組織の中にすばらしい知識をたくさん蓄えています。ただ、その活用を現場だけでやってきた。だから、コロナ禍でリモートワークが始まった途端に知識が共有されにくくなったり、知識創造ができなくなったりするんですね。これではますます組織の俊敏性や効率性を低めてしまいます。
——日本企業はこれからどのようなナレッジマネジメントを目指すべきでしょうか。
まずは、知識創造プロセスを支援する基盤を構築すべきです。企業や職場によって取り組み方は違うと思いますが、例えばたまに出社することを前提に、オープンイノベーションができる場をオフィスにつくったり、KMソフトウェアやデジタルマーケティングを活用したりしてもいい。その方法がわからなければ、外部のアドバイザーに頼るのも有効でしょう。ツールはいろいろあるので、うまく活用しながら、いつでもどこでもコミュニケーションを取りながら知識が回っていく組織づくりに挑戦してほしいですね。