「復活」の願いが込められた伝統の
和牛ブランド・比婆牛
魚住 りえさん
慶應義塾大学卒。日本テレビにアナウンサーとして入社。フリーに転身後、ボイスデザイナー・スピーチデザイナーとしても活躍。著書『たった1日で声まで良くなる話し方の教科書』(東洋経済新報社)がベストセラーに。Youtubeチャンネル「話し方&聞く力のコミュニケーション講座」を開設
木山 耕三氏
庄原市長
2019年9月にGI登録された、広島県庄原市の「比婆牛」。今回庄原市を訪れた魚住りえさんも広島県の出身で、「幼い頃から、牛肉といえば比婆牛でした。よく食卓に上がっていたのを思い出します」とほほ笑む。そんな魚住さんを待っていたのは、庄原市長の木山耕三氏とJA庄原代表理事組合長の藤原信孝氏、生産者で庄原和牛改良組合長の山岡芳晴氏だ。
比婆牛の産地・庄原市は広島県の北東部にあり、島根県・鳥取県との県境に位置する。自然豊かな山あいの冷涼な気候で、暑さに弱い黒毛和牛の肥育に適している。もともと農家が、農作業に役立てる目的で牛を飼育してきた地域だ。
古くは1843年、庄原市内の畜産家がとくに優良な牛を選び出し、日本最古の蔓牛(※)の1つ「岩倉蔓」を作出。20世紀中盤からは計画的な交配によって岩倉蔓を改良した固有の系統が誕生し、その後地域の名称をとって「比婆牛」の名がつき地元で親しまれてきた。さらに比婆牛は、1953年に開催された和牛の全国大会「全国和牛共進会」第1回大会で名誉総裁高松宮杯・農林大臣賞を受賞するなどあまたの栄誉に輝き、庄原市は和牛の名産地として知られるようになった。
「でも最近は、比婆牛よりも広島牛の名前をよく聞くような気がします」と語る魚住さん。それもそのはず。実は和牛肉の競争に生き残る目的で、30年ほど前に県内のブランド牛が「広島牛」に統一されたのである。「比婆牛」の名称も使用されなくなり「広島牛」を名乗ることになった。「しかし近年、血統に着目して和牛ブランドを再構築する動きが高まってきました。そこで、行政とJA、生産者らが一体となり、かつて全国にとどろいていた黒毛和牛『比婆牛』の名称を復活させることになったんです」(木山氏)。
今、JA庄原管内で比婆牛を肥育する農家は4〜5戸ほど。「市場に出回るのは、1年に約250頭です」(藤原氏)と、まだまだ希少だ。肥育が広島県内全域に広がることで、流通量の増加が見込まれる
行政・JA・生産者が連携、
ブランド復活を目指す
山岡 芳晴氏
庄原和牛改良組合長
藤原 信孝氏
JA庄原代表理事組合長
比婆牛の肉質は、口どけがよく、やわらかい舌触りが特徴だ。不飽和脂肪酸の含有率が遺伝的に高く、濃厚ながらもしつこくない味わいとさっぱりした後味を実現している。こうした特徴を生かし、地元では比婆牛を使用したソーセージなどを開発。また東京のレストランで試食会を行うなど、「復活」を契機にさらなる市場拡大を目指している。
市場とともに生産拡大を目指すべく、2018年から比婆牛の肥育地は広島県全域に拡大された。「繁殖は引き続き庄原市内で行い血統を守りながら、肥育が県内全域に拡大したことをきっかけに比婆牛の生産拡大を目指します。まだ頭数は少ないですが、多くの農家に協力していただければ必ず広まっていくと考えています」と、山岡氏も期待を寄せる。
また、JA庄原は、高齢化や後継者不足といった課題を抱える畜産農家に対してサポートを強化している。「個々の農家の経営や産地の形成へ向けてできうる限りの支援を行い、比婆牛ブランドの拡大を図ります。JAでは農家ごとに牛の交配計画を作り、比婆牛血統を持つ素牛の効率的な生産をお願いしています。市の増頭事業や比婆牛血統に対する取り組みを農家にしっかりと説明するのも、JAの重要な役割です。また、GI登録によって比婆牛に興味を持たれる方は増えているため、引き続き市場の拡大を図っていきます」(藤原氏)。
比婆牛が目指しているのは食肉市場だけではない。木山氏は展望をこう語る。「GI登録は比婆牛ブランド復活の最終地点ではありません。今後は観光資源としても活用し、全国から人を集められるような存在に育てていきたいです」。
魚住りえさん 比婆牛と触れ合う
牛舎に入ると第一声、「かわいい!」と笑顔があふれた魚住さん。その気持ちが伝わったか、比婆牛も喜んで鼻先を近づけてくれた(写真中央)。比婆牛の肉質は、口どけのいい上品な脂が特徴的。「舌の上でとろけるような、やわらかい味は折り紙付きです」(山岡氏)
JAグループでは、心と体を支える食の大切さ、国産・地元産の豊かさ、それを生み出す農業の価値を伝え、一人ひとりにとっての「よい食」を考えてもらうことを通じて、日本の農業のファンになっていただこうという「みんなのよい食プロジェクト」を展開している。左上はよい食プロジェクトのキャラクターで食べることが大好きな小学2年生の「笑味ちゃん」。
手間をかけて大事に育てれば
牛も必ず応えてくれる
田中 高志氏
庄原和牛改良組合
肥育部会長
牛の育成に農閑期はないが、「中でも毎年秋、稲刈りの時期がいちばん忙しいです。わらは牛のいい飼料になりますから、近所の農家から譲り受けてくるんです」(田中さん)
次に魚住さんが向かったのが、庄原市東城町にある肥育農家、田中高志氏の農場だ。田中氏はこの仕事を始めて約40年。一代で現在の農場を築き上げた創業者である。
「比婆牛はとてもおとなしく飼いやすい牛です。生後9カ月前後の子牛を買ってきて、18~20カ月ほど育てて出荷するまでが私の仕事。うちでは輸入牛はいっさい食べませんし、雑煮にも比婆牛を入れます。本当においしいですよ」(田中氏)
「牛肉の味を決める、いちばんの要素は何ですか」と尋ねる魚住さんに、田中氏はこう答えてくれた。「まずは餌ですね。何といっても牛の育ちっぷりと健康に影響しますから。私は、配合飼料と単味飼料を独自にブレンドした、こだわりの餌を毎日与えています」。
もう1つ重要なのが、牛に余計なストレスを与えない環境づくりだ。「いちばん苦労するのは、牛を病気から守ること。牛も人間と同じく風邪をひくし、お腹も壊します。冬は換気をしながら温風を送り、夏は風通しをよくして、牛が心地よくいられる環境を整えています。梅雨になれば食欲が落ちますので、天気は毎日気にかけますね。それから清潔な状態を保つのも大切ですから、農場の敷物も週に1度入れ替えています。大変な作業ですが、そうしないと牛はすくすく育ってくれません。逆に、大事に手間をかければそれに応えてくれるんです」。
そんな田中氏も、よりよい肥育方法を探って試行錯誤を繰り返してきたという。「若い頃は失敗して大赤字を出すなど大変でしたよ。失敗したときは方法論を見つめ直し、自分なりの答えを探し求めていくことが大事だと思いますね」。
「達成感を感じるのはどんなときですか」(魚住さん)の問いに、田中氏も「市場や精肉店の方から、『いい肉だね!』と言われたときは最高の気分になりますね。『これからもこんな肉をつくってくれ、また買うから』なんて言われると何より励みになります」と顔をほころばせる。
そんな田中氏は、今後さらに肥育に力を入れていくという。「正直まだ、GI登録の実感は湧きませんが、比婆牛を全国の皆さんに知ってほしいですね。そしてGIの名にふさわしい牛肉をつくっていきます。ぜひ一度食べてみてください」。復活しつつあるブランド・比婆牛。そのおいしさが日本中に届く日が待たれる。