フリーアナウンサーの魚住りえさんとGIの産地をめぐる旅。今回は秋田県大館市の「大館とんぶり」をリポートする。GIとは、農産物のブランド力を向上させ、独自の生産プロセスや地理的な特性によって高い品質を達成している農産物の名称を知的財産として保護する制度。その栄養価の高さや見た目、食感から「畑のキャビア」とも呼ばれるとんぶりだが、生産地は日本中を探してもここ大館市だけだ。その背景とは――。
(2019年11月18日掲出)

制作:東洋経済ブランドスタジオ
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秋田県で長年親しまれる
「とんぶり」とは?

ほうきの材料となるホウキギ。原産地は中国や南アジア、ヨーロッパで、日本には平安時代に渡来したといわれる。秋田県大館市周辺では江戸時代から、ホウキギの果実を食用とする習慣があった。その文化が現代まで継承され、長く親しまれてきたのが同市の名産品「大館とんぶり」である。

魚住 りえ

魚住 りえさん

慶應義塾大学卒。日本テレビにアナウンサーとして入社。フリーに転身後、ボイスデザイナー・スピーチデザイナーとしても活躍。著書『たった1日で声まで良くなる話し方の教科書』(東洋経済新報社)がベストセラーに。『たった1分で会話が弾み、印象まで良くなる聞く力の教科書』(東洋経済新報社)もヒット中

クセのない味とプチプチとした食感が特徴で、ご飯や豆腐に乗せたり、細く切ったキュウリやツナと混ぜたりして食べられることが多い。最近ではパスタに入れられるなど、料理のジャンルを問わず使われるようになってきた。

今回初めて秋田県大館市を訪れた魚住りえさんも「以前、イタリアンのお店で食べたことがあります」と興味津々。魚住さんを出迎えてくれた、JAあきた北代表理事組合長の虻川和義氏はこう語る。

「大館とんぶりがGIに登録されたのは2017年のことでした。これは秋田県初の快挙で、とんぶりのブランド力を高めようと地元は大いに盛り上がっています。とんぶりは古来より中国で『地膚子(ぢふし)』と呼ばれ親しまれてきたもの。高い栄養価を持つ自然食品なんですよ」(虻川氏)。「とんぶり」の名の由来は、唐から伝来した「ぶりこ(秋田の県魚・ハタハタの卵)」からついた呼び名『とうぶりこ』が転訛(てんか)したという説が有力だ(※)。

※諸説あり

とんぶり

農家の所得向上のため
GI登録で産地に活気を

虻川 和義

虻川 和義

JAあきた北
代表理事組合長

大館市の中でもとくにとんぶり生産量が多いのは、比内地鶏で有名な比内地区。この地域にとんぶりの生産・加工文化が根付いている理由は、その風土にある。山に囲まれた地形が、強風からホウキギの果実を守る。また豊富な湧き水に恵まれ、とんぶりの加工に必要な水を確保できるというわけだ。

「比内地区の多くはコメ農家です。冬の収入減を補うため、とんぶりの生産を始めた経緯があります。とんぶり生産の文化は、厳しい環境の中で忍耐強く生きる人々の暮らしが、独特の自然条件と相まって生まれたものなんです」(虻川氏)

とんぶりが一般に販売されるようになったのは、1970年代中盤以降。その後88年に生産量は418トン、農家は138戸まで増えたが、それをピークに減少。昨年の生産量は54トン、今は7戸の農家が残るのみだ。

虻川氏は、JAとしてとんぶり生産を支えていく決意を語る。「GI登録を受け、とんぶり生産者に自信が芽生えたことはもちろん、大館市全体にも喜びが広がりました。元来コメが主な農産物であるこの地域で、JAは自己改革を通じた農家の所得向上に努めてきました。今ではフランスで、キャビアの代わりにとんぶりを使うケースもあるとか。こうした状況を追い風に、若者が意欲的にとんぶり生産に取り組めるような支援態勢をつくると同時に、コメなどほかの産品の生産・販売も活性化し、農家の経営を支えていきたいと考えています」。

魚住りえさん ホウキギ畑でとんぶりを堪能

魚住りえさん ホウキギ畑でとんぶりを堪能

収穫期を迎えた大館市比内町のホウキギ畑は、まさに緑の海。秋の爽やかな風が吹く中で、魚住さんもとんぶりを味わった。「おいしいし、ヘルシー。まさに和製のスーパーフードですね」とほほ笑んだ

ホウキギ畑 とんぶり

JAグループでは、心と体を支える食の大切さ、国産・地元産の豊かさ、それを生み出す農業の価値を伝え、一人ひとりにとっての「よい食」を考えてもらうことを通じて、日本の農業のファンになっていただこうという「みんなのよい食プロジェクト」を展開している。左上はよい食プロジェクトのキャラクターで食べることが大好きな小学2年生の「笑味ちゃん」。

加工技術は「企業秘密」
農業は自分との闘いだ

渡邉 秀広

渡邉 秀広

次に魚住さんが向かったのは、大館市比内地区のホウキギ畑だ。辺り一面見渡す限りにホウキギの緑色が広がり、その美しさに思わず息をのむ。とんぶりの栽培は4月下旬から種まきが始まり、定植や開花を経て、9~10月上旬に収穫する。取材に訪れた9月中旬は、ちょうど収穫シーズンが始まる頃。出迎えてくれたとんぶり農家の渡邉秀広さんは、忙しく動き回っていた。

渡邉さんは現在60歳。もともと兼業農家をしていたが、伝統あるとんぶりに興味を持ち、8年前から栽培を始めた。当時を振り返り「最初は試行錯誤の連続で、何度もやめようかと思いました。ホウキギ専用の機械がないので体力的な負担も大きかった。ようやく軌道に乗ったのは、開始から4年目のことでした」と語る。

ホウキギは風や気候の変化に弱く、畑の管理が難しい。頭の中はいつも畑のことでいっぱいだという。「何より怖いのは風害です。風からホウキギを守るため、根元に土を寄せて支柱を立てるなど工夫に工夫を重ねています。『負けていられない』という気持ちで、いつも自分との闘いですね」(渡邉さん)。

栽培だけではない。収穫後の加工によっても、とんぶりの品質が大きく左右される。まずは乾燥させたホウキギの果実をゆで、次に機械で皮をむく。この皮むき技術は各農家の秘伝で、いわば“企業秘密”だ。皮むきの後、果実を洗って消毒する。そして豊富な湧き水で水洗いを繰り返しながら、目視で異物を選別していく。その後、8時間ほど重しを乗せて水切りをし、さらに未熟な実や異物を取り除く「赤み取り」を行って、やっと出荷段階となる。

後継者不足の中、思うは
「若手の自分がやるしかない」

魚住りえさん 渡邉篤史さん

生産者の渡邉さん親子も、GI登録を受けて、よりとんぶりの生産に緊張感が増したという。「GIの名に恥じない品質管理をしていきたい」と意気込む (写真右 渡邉 篤史氏)

手間のかかるとんぶり生産において、渡邉さんの強い味方となっているのが次男の篤史さんだ。現在33歳。高校卒業後、農業研修生としての5年間の研修を経て、父親の下で就農することを決めた。

「自分で作った野菜が初めて売れた時に強く心を打たれ、父の仕事を手伝うようになりました。とんぶりはここ大館市でしか作れないうえ、ホウキギの種は一般に流通していないので、限られた農家しか栽培できないのが現状です。生産者が高齢化し後継者が不足する中、若い自分が引っ張っていかなければならないと思うようになりました」(篤史さん)

仕事熱心な篤史さんは、毎年開かれる『JA青年の主張全国大会』への出場権を勝ち取り、見事優秀賞を獲得している。「今後の目標は何ですか」と尋ねる魚住さんに、目を輝かせながらこう答えてくれた。

「地元の若手生産者と力を合わせ、ノウハウや知識、経験をどんどん蓄積して、とんぶり生産を活性化させたいです。将来的には、若い人たちが夢を抱いてとんぶり栽培に入ってこられるように、基盤を固めていきたいです」(篤史さん)

夢と期待感を持って、日々生産に励んでいる渡邉さん親子。「畑のキャビア」の名に負けない強いブランド力を手にした大館とんぶりは、GI登録を追い風に、秋田から世界へと羽ばたいていく。

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