非認知能力を育む「SEL」が世界的に注目されたワケ

SEL(Social Emotional Learning)はアメリカで発祥し、主にCASEL(Collaborative for Academic, Social, and Emotional Learning)という教育団体の推進によって広がったと言われている。roku you代表取締役の下向依梨氏は、その歴史についてこう説明する。

「1980年代頃からEQ(心の知能指数)に注目が集まり始めたほか、罪を犯した青少年の社会復帰プログラムが学力向上やストレス軽減に効果があることがわかってきたという背景があります。1990年頃からそうした心の教育にSELという名前がついて研究が盛んになり、やがてCASELが牽引する形で教育現場にも広がり始めました。2015年にシカゴは全学校で導入、2010年代にはシンガポールやメキシコの全学校においても必修化され、世界的に注目されるようになっていきました」

下向依梨(しもむかい・えり)
roku you代表取締役、一般社団法人日本SEL推進協会代表理事
大阪府生まれ。アメリカ・ペンシルベニア大学教育大学院で発達心理学において修士号を取得。2019年にroku youを沖縄県にて設立、代表取締役に就任。Social Emotional Learningを基軸に、全国延べ100校以上の学校改革や総合的な探究の時間に関わる。著書に『世界標準のSEL教育のすすめ「切りひらく力」を育む親子習慣:学力だけで幸せになれるのか?』(小学館)がある

日本でも福岡教育大学名誉教授の小泉令三氏を中心に1990年代頃から研究・実践が展開されてきたが、「とくにSELを紹介する書籍『21世紀の教育』(ダイヤモンド社)が2022年に発売されてから、注目度が一気に上がったと感じています」と下向氏は話す。

もともとは、高校時代から貧困問題に対する関心が高かった下向氏。その解決には、ボランティアなど一過性の取り組みではなく、社会のシステムを変える必要があると感じていた。そこからしだいに、課題解決のために変化を起こせる人、いわば“チェンジメーカー”を育てたいと思うようになったという。

「大学では、暗黙知や経験知を言語化する『パターンランゲージ』の研究に取り組み、それを応用した社会起業家を育成する教育プログラムを作って高校生や大学生に提供してきました。しかし、同じプログラムを実施しても、響く人と響かない人がいる。理由を探ってみると、響かない人たちには、自分の内面で起きている葛藤や違和感に目を向けることが苦手だという共通点があったのです。とくに自己認知や他者理解がカギになると考えましたが、当時の日本ではそうした非認知能力の研究が進んでいませんでした」

そこで下向氏は2014年に渡米し、ペンシルベニア大学教育大学院の学習科学・発達心理学の修士号を取得。その過程でSELを学び、日本の学校にも伝えたいと考えた。

「2015年に帰国した頃は、まだSELの認知度が低く、私もイベントなどを開催しましたが、普及の道をなかなか描くことができませんでした。しかし、オルタナティブスクールの教員として現場で日々過ごす中で、やはりSELは日本の教育に必要だと実感。とくにプロジェクト型の学びの土台になるスキルだと感じていました」

下向氏は本格的にSELを広めようと、2019年に教育企画・コンサルティング会社「roku you」を起業。SELをベースとしたカリキュラム・プログラムを全国の小中学校・高等学校・大学に提供し、伴走支援に従事するようになった。

コロナ禍を境に「自己肯定感の低い子ども」が増加

下向氏によると、SELとは「Social(ソーシャル)」と「Emotional(エモーショナル)」の2つの側面から非認知能力を育む教育アプローチだという。具体的には下記の5つの資質・能力を統合的に育んでいく。

●自己認識能力(自己理解力):自分への気付きを深める能力
●自己管理能力:自分の感情とうまく付き合う能力
●社会認識能力(共感力):他者への気付きを深める力
●関係性構築能力(社会スキル):他者と良好な関係を築く対人関係力
●責任ある意思決定能力:責任をもって意思決定ができる力

下向氏はこれらを「必要な学びに向かうための環境や土台をつくるもの」と定義している。取り組みの内容は学校や地域により異なり、授業だけでなく行事、部活、家庭、地域と連動しながら進めていく必要があるという。

SELの効果が発揮されるためには、多面的なアプローチが大切だという

では、なぜ今の日本でSELが注目されているのだろうか。

「根本にあるのは、子どもたちの自己肯定感の低さだと思います。日本でも総合学習を通して子どもたちの自己肯定感を養おうとしてきましたが、子どもたちが自分の興味や関心に気付くことが難しいケースもまだまだ多いです。またコロナ禍を境に、突然学校に来なくなる子どもが増えました。コロナ禍で人と接することが制限され、不安や恐怖を他者と共有できなくなった結果、他者に気持ちを伝える力が弱くなってしまったのでしょう。それにより自己認識能力も低くなってしまったのです。それらを解決するのが、まさにSELだと言えます」

SEL導入校の背景に、「探究」や「不登校」などの学校課題

roku youは、これまでに通信制高校を含む全国の100校以上の学校に伴走し、SELを教育現場で実践してきた。SELを取り入れたいという学校からの依頼は、大きく分けて2つあるという。

「1つは探究で児童生徒の多くが、自分の関心や興味に気付けない、グループを自分たちでうまく作れないというもの。もう1つは、不登校や自己肯定感の低い児童生徒が多い、いじめ事案や教師の休職で悩んでいるなど、学校全体に問題を抱えているケースです。基本的には1年間を通して探究に伴走し、SELを展開します。授業設計や生徒がどうしたら自分の気持ちに気付けるかなどの具体的な指導を軸としながらも、机の配置などの空間的な調整や保護者との連携、教員研修など、全方位からアプローチしています」

手法については、すでに世界で成果が確認されているSELのプログラムやソーシャルスキルトレーニング、マインドフルネスなどの知見をアレンジするほか、神経心理学や発達心理学、認知行動療法などの知見を基に開発したものを実施しているという。

例えば、前述の5つの能力を高める指導の1つとして行っているのが「感情当てゲーム」。山になったカードから1枚めくり、書いてある感情を自分が感じたときの状況を話す。話を聞いた周りの人たちは、カードに書かれている感情がどれか当てる。

roku youが開発した「感情当てゲーム」

このゲームによって、子どもたちは自分の感情に気付けるようになり、感情に触れることで他者理解が深まることにもつながるという。このほか、インタビューを通じてお互いのことを知るワーク、自分の感情の波を図で表すワーク、自分の取り扱い説明書を作成して他者と共有するワークなどもある。

しかし、下向氏によると、SELで大切なのは提供するコンテンツではなく、それを提供する側の姿勢や体現だという。コンテンツだけ渡しても、教員がなぜそれをやる必要があるのか理解していなければ成果は出ない。だから、基本的に支援は教員研修から始めると下向氏は語る。

教員研修の様子

いくつかの公立中学校の教員研修では、教員自身が「なぜ教員になったのか」「どのような人生の中で選択をしてきたか」などについて語ってもらうことで自身の思いや感情に目を向けさせ、さらにほかの教員の話を聞いて他者の気持ちに気付く機会を作るなどした。その結果、教員の心理的負荷の軽減をはじめ、日常会話の中で相談が行われることによる時間的負荷の軽減、トラブル時に助け合える風土が生まれるなどの成果が見られたという。

SEL導入で「不登校改善」「学習意欲向上」の成果も

ある公立中学校では、生徒の自己効力感が低いように感じるものの背景が見えないとのことで、東京学芸大学と協働作成したウェルビーイング指標に基づくアンケートを実施し、児童生徒の状態を共有したうえで手立てを学校に提案。その結果、教員間の課題意識が揃い、解決に向けた対話ができるようになったという。

複数の中学・高校では、生徒たちが与えられたテーマに対して、自らミッションを考え達成に向けて企画・実行するワークを実施。教員が生徒の創造性に気付くきっかけになったり、生徒の主体性が向上したりといった成果が見られた。例えば、うるま市立あげな中学校では、「心地よい環境を自分たちでつくろう」というテーマに対する取り組みとして、生徒たちは校舎に絵を描いた。自分の上げた声が生かされることで、学校環境に対する“自分事感”が向上したという。

うるま市立あげな中学校では、心地よい環境づくりの実現の手立てとして、生徒たちは校舎に絵を描いた

SELはすぐに効果が表れるものではないが、不登校の状況が改善した学校が複数あるという。全国学力・学習状況調査の結果が向上した小中学校、国公立大学の合格者が増えた高校もある。

「不登校の改善が見られた学校では、教員が生徒1人ひとりの気持ちや状態を把握する力が向上していることが後追いの調査でわかりました。そうした教員の変化が五月雨登校の子にも伝わり、不登校の改善につながったのではと分析しています。また学力の向上は、子どもたちが学校での居場所や役割を見つけられたことによる安心感の高まりと関連性があることが、ウェルビーイング指標からも見えてきています」

そのほか、自分の気持ちと上手に付き合える子どもが増え、教師の挑戦意欲が高まるだけでなく、「不登校の子のうち10人以上が登校復帰した」「年間150日以上休んでいた子が週4日ほど出席できるようになった」「年度内で休職に入る教員がゼロになった」「3割だった保護者の学校活動参加率が8~9割に増加した」といった複数の成果が1年で見られるようになった学校もあるという。

とはいえ、日本の教育という観点からは課題もまだまだあると下向氏は感じている。

「非認知能力の大切さが叫ばれていますが、教育現場はいわゆる偏差値で評価する“学力重視”だったり、速効性のある教育を求めたりする傾向がまだ強いと感じます。また、教育の仕組みを作る方々と話をすると、子どもたちと同じような自己有用感の低さを感じます。非認知能力が重要であると感じながらも、自分たちに制度や仕組みを変えられるわけがないと思っていらっしゃる。教育先進国ではすでに教育関係者の自己有用感を高めるアプローチも進んでおり、日本も変わらなければいけないと思います。子どもたちの自己効力感・肯定感を高めるためにも大人たちが変わる必要があるのではないでしょうか」

(文:酒井明子、写真:roku you提供)