「リメディアル教育」の役割

「大学でbe動詞や四則演算を教えている」といったニュースがしばしば話題になります。ネット上では、「大学で教えるべきことか」「こんな授業をする大学は潰れるべきだ」といった批判的なコメントも多く見られます。大学は高等教育機関ですから、そうした内容を教えることに違和感を覚える人がいるのも理解できます。

高校までの学習内容や学習スキルを補うために大学が行っている教育を「リメディアル教育」と呼びます。例えば、文章の書き方やレポートのまとめ方、基本的な数学の計算、英語の基礎的な文法など、大学の授業を受けるために必要な最低限の知識やスキルを、入学後に身に付けてもらうことが目的です。大学での専門的な学びにスムーズに移行できるようにする、いわば土台づくりとも言える取り組みです。

では、なぜこのような教育が必要とされているのでしょうか。背景には、いくつかの大きな変化があります。

なぜ小・中学校の内容を大学で教えているのか?

まず1つめは「大学全入時代」と言われるようになった進学率の上昇です。18歳人口の減少が進む一方、大学の数はむしろ増え続けてきました。いまや四年制大学の進学率は50%を超え、進学は身近になっています。当然ながら学生獲得の競争も厳しくなっており、定員割れに悩む大学も少なくありません。

このような状況の中で、従来なら大学に進学しなかった層の学生を受け入れる大学も増えているわけです。十分な志願者数を集めている大学であっても、30年前と現在とでは入学者の状況がかなり違うはずです。

2つめは、入試制度の多様化です。現在では総合型選抜や学校推薦型選抜で進学する学生も増えています。学力試験を課されないケースも多く、入試段階で学生の基礎学力を十分に確認できないこともあります。

ただ筆記試験中心の一般選抜でも、1〜2科目だけで受験できる大学は少なくありませんし、大学入学共通テスト利用入試であれば数学Ⅲの試験を受けずに理工系の学部へ進学することだってできます。推薦入試に批判が集まりがちですが、一般選抜も完璧ではありません。実際、推薦入試での入学者よりも一般選抜組の方が中退率が高い大学や学部も珍しくはないのです。

3つめは、高校教育の多様化です。工業高校や商業高校などの専門学科や総合学科、通信制や定時制など、さまざまなタイプの高校から大学に進学される方が増えています。それぞれに履修してきた教科や科目、学習環境は異なります。得意分野では極めて優秀だけど、普通科の高校に比べると一部科目の学習時間が非常に短い……なんてケースもよくあります。

このように社会環境が変わった結果、多様なバックグラウンドを持つ学生が大学に入学するようになりました。その中には、必要な学力を身に付ける機会を逃してしまった学生や、特定の科目を履修してこなかった学生も含まれています。

そうした学生に対して、大学がリメディアル教育を通じて学びのチャンスを提供することは、高等教育の間口を広げ、多様な人々に学びの機会を保障するという点で大きな意義があります。

大学関係者と世間との間で、話がかみ合わない理由

進学率の上昇にともない、大学のあり方は多様化しています。

グローバル人材の育成や、高度先進的な研究を担う大学がある一方で、基礎学力や学習習慣が身に付いていない学生を受け入れ、「ちゃんと社会人として送り出す」ことをミッションとする大学もあります。全国各地に存在する地方私大などには、とくにこうした役割を地域で担っているケースも多いのです。

倉部 史記(くらべ・しき)
進路指導アドバイザー、追手門学院大学 客員教授、情報経営イノベーション専門職大学 客員教授
慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。私立大学職員、予備校の総合研究所主任研究員などを経て独立。進路選びではなく進路づくり、入試広報ではなく高大接続が重要という観点からさまざまな団体やメディアと連携し、企画・情報発信を行う。全国の高校や進路指導協議会で、進路指導に関する講師を務める。 兼任として三重県立看護大学 高大接続事業 外部評価委員、NPO法人LEGIKA「WEEKDAY CAMPUS VISIT」認定パートナー。公務実績として文部科学省「大学教育再生加速プログラム(入試改革・高大接続)」ペーパーレフェリー、三重県「県立大学の設置の是非を検討するための有識者会議」有識者委員など。著書に『ミスマッチをなくす進路指導』(ぎょうせい)など
(写真:本人提供)

実のところ、このあたりは大学を含む教育関係者と世間一般の皆様とで、なかなか話がかみ合わないことも多いと感じます。「大学は、大学らしくあってほしい」と思う方が多いのもわかるのです。かつて18歳人口が現在よりもずっと多かった頃、一般入試で激しい競争をくぐり抜け、苦労して大学に進学された経験を持つ方々からすれば、釈然としない部分もあるかもしれません。

その点で、「社会環境が変わったことで、大学のあり方も変わってきたのです」ということを、大学関係者は社会に対してもっと丁寧に説明したほうがよいかもしれませんね。リメディアル教育も、そうした認識のすれ違いが生まれやすい取り組みの1つですが、逆に言えば、リメディアル教育の取り組みを知っていただくことで、大学の役割の変化を多くの方にイメージしていただけるのかもしれません。

小学校や中学校で学ぶ内容を教えるような大学は不適切だ、と批判したくなる気持ちはわかりますが、こうした大学がなければ、四則演算が怪しいまま社会に放り出される若者が増えることにもなりかねません。もしこうした大学を潰したら、社会全体がよくなるどころか、むしろ事態は悪化するでしょう。

あるいは高校までの卒業条件を厳しくすれば、大学がリメディアル教育を行う必要はなくなるのかもしれませんが、それはそれで高卒資格を得られない若者の増加を招くことに。問題が大学から高校段階に移るだけになってしまいます。

補足すると……リメディアル教育は「定員割れの大学がやっている取り組み」だと思われがちですが、実際には国公立大学や難関大学でも実施されています。例えば、経済学部に入学した学生が高校で数学を十分に履修しておらず、経済学で必要とされる数学的思考や統計知識に対応できない、なんてケースは以前からありました。

また日本では、高校の早い段階で文理選択や履修科目の選択をさせるケースが多いですが、そうなるとどうしても数学や理科、社会科などでも基礎学力のバラツキは生まれます。こうしたギャップを埋める役割も、リメディアル教育は担っています。必要な内容を大学であらためて基礎から学べる仕組みは、多くの学生にとってメリットがあるはずです。

それに、誤解されているケースもありそうですが、リメディアル教育の科目だけを履修していても大学は卒業できません。卒業要件を満たすためには、専門科目などの単位が数多く必要です。リメディアル教育はそこに向けた橋渡しの仕組み。出口の水準を下げるのではなく、入り口を通りやすくするためのものです。

リメディアル教育は単に「できない学生」のための教育ではありません。多様化する大学の中で、それぞれの学生が自分の興味・関心に基づいて専門的な学びへと進むために必要なステップです。

大学が学生の学びを支え、専門性を深める手助けをするリメディアル教育は、現代の高等教育において、きわめて重要な役割を担っていると私は思います。こうした大学の変化を、多くの皆様に知っていただきたい、と思う次第です。

(注記のない写真:Fast&Slow / PIXTA)