なぜ「魔の6月」なのか?

私は長年、地域の小・中学校で起こるさまざまな課題に対して、そのクラスにうかがい、先生や子どもたちの状況を把握し、必要に応じて他機関と連携しながら対応するお手伝いをしてきました。

落ち着きがなくなってきた学級の課題が見えはじめるのはゴールデンウイーク明け、そして本格化するのは6月中旬頃だと実感しています。

ゴールデンウイーク明けになると教室の雰囲気がゆるみ、学校に足が向かない子どもたちが増えるという話はよく耳にします。そこで、この5月期に、運動会などの行事を設定する学校が増えています。

気候や学校行事上のメリットもありますが、生活にメリハリをつけ登校への意欲を持たせる、共通の目標を設定しクラスや学年の一体感を醸成させる、頑張りや達成感を通じて自己肯定感を育てる、などの狙いもあります。

確かに、それを機にまとまっていくクラスもあります。しかし、この取り組みで子どもたちとのズレが生じてしまった場合、5月の疲れやひずみが6月にクラスの荒れとしてはっきりと現れてくる、この現象が教育現場でよく言われる「魔の6月」です。なお、これには、6月の時期の温度や湿度などの影響で心身が不安定になることも大きく関与しています。

クラスの一体感と、インクルーシブな学びにある隔たり

5月にさしかかると、新学期やクラス替えの緊張感がうすれ、「慣れ」や「だれ」が広がっていきます。クラス内で体育が上手なのは誰か、勉強が得意なのは誰か、人付き合いがうまいのは誰か、などがはっきりして、いわゆるカースト(まだ非常に流動的ではありますが)もうっすらと見えはじめます。

阿部利彦(あべ・としひこ)
星槎大学大学院教育実践研究科 教授
早稲田大学人間科学部卒業、東京国際大学大学院社会学研究科修了。専門は特別支援教育、教育のユニバーサルデザイン。東京障害者職業センター生活支援パートナー(現・ジョブコーチ)、東京都足立区教育研究所教育相談員、埼玉県所沢市教育委員会健やか輝き支援室支援委員などを経て現職。日本授業UD学会理事、日本共生科学会理事、日本LD学会第34回大会会長などを務める。主な著書に「通常学級のユニバーサルデザイン・スタートダッシュQ&A55」東洋館出版社、「人的環境のユニバーサルデザイン」東洋館出版社などがある
(写真:本人提供)

そこで、5月に運動会などの行事を設定し、皆で同じ目標のもとに頑張ることで学級の「一体感」を高め、仲間と心を一つにしようという取り組みがなされるわけです。児童・生徒たちが協力して、体と心をそろえようと努力する姿、そして、実際に「ぴたっ」と動きが合った瞬間の一体感によって、先生方は自分たちの指導の成果を実感できることもあるでしょう。

しかしながら、通常学級に8.8パーセント以上在籍していると言われる、何らかの配慮が必要な児童・生徒たちも集団活動に参加していることを考えると、「みんな一緒に」「みんなが1つに」という活動の別な側面に気づかされるのです。

例えば、自閉スペクトラム症の児童・生徒の中には、感覚過敏のために他者との身体接触を苦痛に感じる子もいます。また姿勢保持のつまずきをはじめ、運動機能に課題がある子もいるわけです。たとえ体格のよい子でも、何人もの仲間を背中で支えることが困難な場合もありますし、同じ力が加わってもほかの子より強い痛みを感じてしまう子もいるでしょう。

学校教育における一体感がもたらす感動は「同じ学年の子どもなら、努力すればみんな同じことができるはず」という認識の上に成り立っています。多様な子どもたちが存在し、共に生活し、共に学ぶ「インクルーシブな学び」との大きな隔たりを感じざるを得ないのです。

「みんなが努力すれば、絶対に成功するはず」という先生の熱い思いを敏感に感じ取った子どもたちが、クラスメイトに「ちゃんとやろうよ」「もっとがんばれよ」と声をかけるのもごく自然な流れです。

しかし、クラス対抗で競うような場面では、発達につまずきがある子どもが「足を引っ張る存在」としてクローズアップされてしまう心配も大いにあるのです。

より多くの子どもたちのための「教育のユニバーサルデザイン」

「同じ学年なら同じことができて当然」という前提で先生が指導すると、子どもたちにも同じ認識が生まれ、できて当然のことができないクラスメイトを責める気持ちになることは容易に想像できます。

この状況を先生が肯定的に捉え、そのままにしていると、無意識ながら先生も加担した「いじめ」にエスカレートする恐れがあります。

反対に、できない子どもに対して周囲の子どもたちがあまりに厳しくあたるようであれば、先生も止めに入ることになります。そうすると周囲の子どもたちは「どうして先生とクラスのためにやっている自分たちが注意されて、ちゃんとできないあの子は守られるのか」と納得いかない思いに駆られるでしょう。

ここで子どもたちに心の変化が生じ、先生に不信感を感じるようになってしまうのです。こうした周囲の子どもたちの不満が蓄積して、学級がギクシャクする引き金となるのです。

多様な子どもたちが共に学ぶインクルーシブな学級づくりでは、子どもたちに「安心感(心理的安全性)」を提供できるかどうかがカギとなります。

合理的配慮ももちろん大切ですが、とくに6月期を乗り越えるには、子どもたち一人ひとりの安心感を大切にする「人的環境のユニバーサルデザイン」を意識した学級づくりが効果的です。

ユニバーサルデザインという考え方は、もともとは建築やものづくりの分野から生まれた概念ですが、教育の場においても非常に有効です。教育のユニバーサルデザインとは、”より多くの子どもたちにとって、わかりやすく、学びやすく配慮された教育のデザイン”と定義されています。

特別支援教育と限定せず、「多様なすべての子どもたちにとって学びやすい、参加しやすい」を目指すものです。教育のユニバーサルデザインは、①教室環境、②授業、③人的環境の3つのユニバーサルデザインからなると考えますが、ここでは人的環境のユニバーサルデザインについてお話しします。

(画像:筆者資料)

「失敗から学び合える場」をつくる

人的環境のユニバーサルデザインが目指すのは、「失敗から学び合うことができる場づくり」です。

子どもたちは、間違えることを恐れたり、他者と違う意見だと受け入れてもらえないのではないかと気にしたりして、発言を控えてしまうことがあります。ですから、「間違っても大丈夫」「人と違ってもいい」と感じられる、「心理的安全性」が確保された学びの場を作ることが必要なのです。

そのためには、授業や話し合いの中で出された子どもたちの答えや意見について、先生が正答だけを評価して誤答を切り捨てるのではなく、それぞれの意見に肯定的な価値づけをしていく姿勢が求められます。

①「わからない・できない」は恥ずかしいことではない、②「わからない・できない」と言ってもいい、③人と違う意見を言っても否定されない、ということを日々の授業の中で先生が示していくのです。

また、先生が穏やかに子どもたちに接することも求められるでしょう。丁寧な言葉、声の抑揚、リズム、視線、ジェスチャーなどを工夫します。端的でわかりやすい説明を心がけること、子どもたちの理解度を確認し、必要に応じて立ち止まる勇気を持つことも大切です。

時には、予期せぬ誤答や意見が出たことにより、先生の予定どおりに授業が進まないこともあるかもしれません。そんなときも無理な舵取りは行わず、1人ではたどりつけなかった結論や、皆がいてくれたからこそ見えた気づきを重視し、クラスメイトの多様な見方・考え方を味わい、共有していくのです。

また、「話し合い」だけではなく、「聴き合い」の風土を育てます。説明が上手な子だけでなく、うなずきながら聞く子、「なるほど」「たしかに」などとつぶやく子、「はっ」としてメモをとる子、そんな子どもたちを見逃さず、それぞれに肯定的な評価をかえしてあげるのです。こうしたフィードバックは、子どもたちの傾聴的な反応を強化します。

このような学びの風土が醸成されると、クラスの仲間が困っているときやうまくいかないとき、その失敗を皆で共有し、①どこまでできているのか、②どこでつまずいたのか、③どのようにつまずきを解消すればいいのか、を共に検討できる集団に成長します。

子どもたちが「人に相談するといいアイデアが浮かぶ」「みんなで調べると、自分一人で調べたときより新しい発見がある」「迷ったときに友達と話し合うと意見がまとまる」といった、共に学ぶことのよさに気づけるようになると、配慮が必要な子もそうでない子も居心地のよいクラスになっていくのです。

私たちは、人と違うことを気にし、そして間違うことを恐れてしまいます。しかし、間違えることも、できない子も許さない、そんなクラスに心理的安全性は生まれません。

一人ひとりが違うのだと認められる、間違うことが許される、そして、困っているときにはお互いに援助し、援助される。そのようなクラスを目指すことで、柔軟性のあるしなやかな「一体感」が生まれるのではないでしょうか。

先生方を悩ませる「魔の6月」ですが、見方を変えれば、クラス運営を見直すよい機会であると言えるかもしれません。

(注記のない写真:ふじよ / PIXTA)