「押し付けられる研究はもう嫌だ」という思い

2024年度からスタートした芦屋市の「Ashiya PEACE プロジェクト」。子どもたちが安心して学ぶことをベースに、Place(居場所)、Explore(探究)、Assist individually optimized learning(個別最適な支援)、Collaboration(協働)、Experience(体験・経験)という5つのコンセプトを掲げ、対話を重視してさまざまな取り組みを進めている。

このプロジェクトが始まった背景には同市の子どもたちの実態があったと、同市教育委員会学校教育課課長の尾上昌希氏は説明する。

芦屋市教育委員会学校教育課課長の尾上昌希氏

「本市の子どもたちは、2023年度~2024年度の『全国学力・学習状況調査』の結果を見ても、全教科で正答率が全国平均を大きく上回っています。一方、教科学習に関する意識調査では、勉強が『好き』『大切』『役に立つ』など肯定的な回答をした割合は年々低下しており、全国平均より低くなっています」

さらに、「夢や目標を持っている」「地域社会をよくしたい」「学校が楽しい」と回答する割合も年々低下し、全国平均よりも低い。つまり、同市の子どもたちは、学力は高いものの、自己肯定感や自己有用感、学ぶ意義の実感などに課題があるという実情があった。

「勉強の意義や学ぶ意味を身に付けないまま、知識だけ押し付けられている子もいるのかもしれません。『第3期芦屋市教育振興基本計画(2021年度~2025年度)』で目指す『夢と志をもって自らの未来を切り拓く子ども』の育成について、改めて力を入れないといけないと思いました」(尾上氏)

そこで、「1人ひとりの個性や特性、興味関心、理解度等を踏まえた、公正で最適な学び方」を推進すべく、プロジェクトを始めたというわけだ。市長の髙島崚輔氏が2023年度策定の教育大綱で強調した「ちょうどの学び」の実現である。

その取り組みの1つとして2024年度から始めたのが、「子どもの主体性を回復する研究」だ。子どもが「選び・決め・行う」ことによって子どもの主体性は回復するとし、さらに、子どもを信じて委ねるというマインドセットの下、個のニーズに寄り添い学ぶ環境を構成し、励ましやフィードバックを与えることが教師の役割であると位置付けた。

さらに、これは「教員にも同じことが当てはまるのではないかと考えたのです」と、同課主査の甘利大紀氏は語る。

芦屋市教育委員会学校教育課主査の甘利大紀氏

「これまでの本市教委は、課題があると数値で結果を示して『〇〇が足りないのだから、〇〇しないといけない』という正論で教員を説き伏せていました。研究も市が決めたテーマを指定校に進めてもらってきましたが、別の研究がしたい教員や、子育てや介護といった家庭の事情で研究に専念しにくい教員は一律に正論で縛られ苦しかったと思います。それでもしっかり取り組んでくださるため研究自体は大きな成果が出るのですが、現場からは『やってみたいけど、大変そう』『あの学校の研究はすごいけど、仕事量が増えそうだから異動したくない』といった声もあり、結局よい取り組みも広まらない状態が続いていました」(甘利氏)

尾上氏も、「私も甘利も元教員で、『押し付けられる研究はもう嫌だ』という共通の思いがありました。子どもたちと教員の実態を考えれば、体制を変えなければいけないと思いました」と話す。

研究指定校を廃止、「自主参加」を徹底すると……?

そこで教委は、2024年度から研究指定校と研究発表会を廃止して、探究的な学び研究推進チーム「ONE STEPpers」を立ち上げた。一番の特色は、「来る者拒まず、去る者追わず」の完全な自主参加制であること。各学校から必ず参加者を出すという決まりはなく、教委が「参加しませんか」と勧誘することもない。

また、「子どもの主体性を回復する」という研究テーマに関わることであれば、自分のしたい研究をやりたい方法で、やりたいだけ研究できるとした。月1回、互いの実践を持ち寄りその価値を共有するリフレクション会議を開催しており、教員らはScTN代表理事の山口裕也氏や同市教委教育アドバイザーの苫野一徳氏から、個別の実践に対して助言をもらうことができる。ちなみにこの会議も強制ではなく、リモート参加や欠席を自由に選べる。

月に1回行われるリフレクション会議

そのほか教委のサポートとしては、講師の助言の下で授業開発を行う「プロジェクト研究」、愛知県東浦町立緒川小学校や名古屋市立山吹小学校、長野県伊那市立伊那小学校などの「先進校視察」、同市のアドバイザーである鈴木寛氏や苫野氏との対話会などに参加できる「研修会」がある。理論から学びたい人は研修会に参加、具体例が見たい人は先進校を視察、実践的に学びたい人はプロジェクト研究に参加できるようになっているのだ。

「すべてに参加する教員もいれば、どれにも参加しない教員もいます。あくまでも、自分の興味と関心、体力と相談しながら研究方法を選択できるようにしています」(甘利氏)

さらに教員が研究に没頭できるよう、教委は講師の選定や日程調整、謝金の支払い、消耗品の購入などの事務作業をすべて代行する。教員の自腹はなく、交通費等も含めてすべて費用は市の予算360万円で運営している。

徹底的に「教員を信じ委ねる」ことにした結果、現在までに市内教員約300名のうち、20~60代の38名が「ONE STEPpers」に参加しているという。

「授業の主体は自分だ」という意識が向上

2024年度、個別の研究テーマとして多かったのは、自由進度学習やPBLだという。そうした実践の広がりにより、一定の成果も得られた。同市は年に4回、前述の山口氏が開発した「ScTN質問紙」を使って主体的・対話的で深い学びの実現状況を測定しているが、そこに変化が表れた。

「市内全体としては、ほぼ変化は見られませんでした。初年度の試験的な取り組みの中では、変化がないほうが自然だと考えています。しかし、ONE STEPpersに参加した教員らのクラスでは、学習指導の個別化や学習内容の個性化が進み、子どもたちの『授業の主体は自分だ』という意識が高まりました。一方、『学校生活を自分たちで変えている』という実感については変化が見られず、協働的な学びや学校の行事づくりなどに課題があると言えます。2025年度からは子どもの関係づくりや自治的諸活動の研究をしてきた指導主事も運営に加わることになりましたので、この課題に関心のある教員をしっかりとサポートして研究を進められたらと思います」(甘利氏)

ScTN質問紙の回答結果の変化。2024年4月と2025年2月を比較したグラフ
(写真:芦屋市教育委員会資料)

「ONE STEPpers」参加教員の手応えと変化

ONE STEPpersに参加した教員はこの取り組みをどう捉えているのか。岩園小学校の近藤香織氏(教員歴12年)は、子どもに委ねる授業を進めるにあたって迷うことがあり参加を決めた。「当初は皆さんから教えていただこうという受け身の姿勢でしたが、プロジェクト研究への参加を機に主体的に授業づくりができ、実際の授業では算数の苦手な子どもが積極的になったり、意欲的に楽しんでくれたりするようになりました」と振り返る。

8本の授業づくりのプロジェクトに参加したという田中秀平氏(教員歴14年)は、「いろいろなアドバイスを得ながら授業づくりができたことは大きく、予定が合わず最後まで参加できなかったものに関してもどんどん情報が入ってくるし、本当に参加してよかったです。また本校では先進校視察に行く先生も多く、同じ教育のイメージを持って語り合える仲間が増えたことが心強くうれしかったです」と語る。

同じくプロジェクト研究に参加した松尾駿氏(教員歴10年)は、「新たな学びやフィードバックを得られたことだけでなく、そもそも学校ははぜ必要なのかといった本質的な対話の機会に恵まれた点もよかった」と言う。研究主任として、今後は学校全体で共通了解の下、子どもたちに学びを委ねていけるような座組みづくりを考えていきたいそうだ。

岩国小学校の算数科の実践

打出浜小学校で5年生の担任をしていた渡邉菜摘氏(教員歴9年)は、子どもたちに小さな自己選択を委ねるところから始め、1時間内、2単元内とステップアップして算数の自由進度学習に挑戦したが、「方向性を持って取り組めたのはONE STEPpers のおかげ」だと話す。「一斉授業のときに算数が苦手な子どもを置き去りにしていたことに気付くことができましたし、結果として、子どもたちの学力は大きく向上しました」(渡邉氏)。

打出浜小学校の算数科の実践

渡邉氏に誘われて参加した同学年担任の藤原健太郎氏(教員歴7年)も、「子どもに学びを委ねる実践を通じて、こんな授業や学習をしてもいいのだと発見が多くありました。子どもたちはしだいに主体的に学習を進めるようになり、テストの点が50点以上アップした子もいます」と手応えを感じている。

ONE STEPpersは現場を一時的に離れている教員も歓迎している。昨春から大学院に通いながら参加する藤田雄也氏(教員歴17年)は、次のように語る。

「自分を含め教員は正解を求めがちですが、研究会でさまざまな問いと向き合う中で考え続けることの大切さを学ぶことができました。また、これまでは市教委の方とお会いすると立場上、距離を勝手にとりがちでしたが、ONE STEPpersの活動を通して『一緒に教育を考える仲間』という認識に変わってきたような気がします」(藤田氏)

また教員らは、「強制ではないところがいい」「新しいものをみんなでつくっていくところが面白い」と口々に話した。教員のモチベーションを高める環境づくりの大きなヒントがここにありそうだ。

2025年度のONE STEPpersについて尾上氏は、「1週間の先進校実践研修も予定しています。先生たちのペースを大切にしながらしっかりと伴走していきたい」と話す。

「先生方は、意欲も能力も非常に高い。その意欲と能力が最大化されるときに子どもたちにとって魅力的な教育活動が実現できると考えていますので、いかに先生方にとってよい環境をつくれるかがカギとなります。今後は奈良県生駒市や大阪府大東市、兵庫県明石市などほかの自治体との連携も深めるなどして、さらに先生たちをサポートしたいと思っています」(甘利氏)

大きく変わり始めた同市の教育に、引き続き注目したい。

(文:國貞文隆、注記のない写真:芦屋市教育委員会提供)