現場の理解を深めるため、教員にきめ細かな指導を実施

埼玉県の幸手市では、PBLとデジタル・シティズンシップの発想を両輪に、公立小中学校での探究的な学びの実践に注力している。1人1台端末を活用しながら、課題発見から解決策の提案、実践的なプレゼンテーション能力の育成など、多角的な学びを深化させている最中だ。プロジェクトが立ち上がったのは2022年3月。同市教育委員会学校教育課の主幹兼指導主事である奥澤智志氏は、「この1年は、幸手市における学びの骨子つくる重要な期間でした」と振り返る。

「教育でのICT活用を指導する大西久雄さんを迎えて、まずは学校側の認識を確かにするための周知や共有を行いました。PBLを『総合的な探究の時間』でどう取り組むか。先生方にしっかりイメージを持ってもらい、23年度の教育計画に落とし込んでもらうことを目指しました」

幸手市教育委員会学校教育課の主幹兼指導主事 奥澤智志氏

もちろん校長会や教頭会でも理解を得たが、教育委員会からのトップダウンだけでは現場に浸透しにくいと奥澤氏は考えた。そこで市教委では、ボトムアップの重要性を念頭に、各校への訪問指導なども行っている。

「市内に12ある小中学校すべてに出向き、子どもと教員それぞれにPBL研修を実施しました。今年度は一歩進んで、学校から具体的な授業案を出してもらうところまできています。さらにそれをよくするための改善点を、市教委と学校が一体となって考えているのです」

取材当日にも、同市北東部にある市立行幸小学校で、年間計画作成について教員への指導・助言が行われた。担当教員が学年別に用意した授業案を見ながら、奥澤氏と同行した大西氏が「ここはもっと子どもに任せていい」「このミッションにもっと比重を置いては」などとアドバイスしていく。

奥澤氏は実際に、教員から「何をすればいいのか」「どう変えればいいのか」などという戸惑いの声を複数聞いた。新たな取り組みに不安を抱く気持ちは、奥澤氏にもよくわかる。

「私自身、市教委同士の交流を行うことで、一人ではないのだと心強く感じて安心した経験があります。子どもたちにもコミュニケーションツールの適切な活用を指導していますが、大人も互いに切磋琢磨でき、仲間がいると感じられる環境が必要だと感じました。こうしたことから、来年度からは教員同士も交流できる場を設けることを計画しています」

受け身になってマニュアルを覚えるようなやり方ではなく、周囲とコミュニケーションを図りながら、まずは教員が楽しめるテーマを見つけてほしい。市教委の研修や指導、交流会などを経た教員からは、「教員である私自身、ワクワク感を持つことができている」といううれしい声も寄せられている。

幸手市立行幸小学校が作成した授業案。3年生で保育所と交流をし、4年生での福祉考察などにつなげる計画だ(左)。写真左が行幸小の教員たち、右が大西氏。指導にも熱が入る(右)

ゴミ捨て禁止の看板も…「どんなこともテーマになる」

教員の丁寧な指導は、ときとして子どもの主体性を奪ってしまう、と奥澤氏は語る。自ら考える主体的な姿勢は、幸手市が考える探究においても欠かせないものだ。

例えば、先日は小学5年生を対象に「教えないデジタル・シティズンシップ講座」を実施した。まずこの時間で考えるべきミッションを明らかにした後、スマホやSNSに依存する子どもを題材にしたアニメーション動画を見せる。上映時間は2分程度で、その後に子ども同士での話し合いや、自ら考えるための時間を多く取った。この動画に自分ならどんなタイトルをつけるかを聞いたところ、ある子どもは「ライク&リアリティー」と答えたという。SNSの「いいね」と現実を対にして捉えているという、現代らしい価値観がうかがえる答えだ。奥澤氏は「その児童は『現実』を表す英単語がわからなかったようで、その場で自分のタブレットで調べていました。必要に応じた正しい端末利用の経験にもなっていると思います」と続ける。

次はこの講座を中学生向けにアレンジして、生徒自らが小学生に教える立場となって、実際に授業をしてもらうような機会をつくろうと企画している。

「中学生ぐらいになると、こうした内容は『説教くさいな』などと敬遠されがちです。しかし自分が教える立場になると、きっとその感覚は一変する。生徒に自然と当事者意識を持たせ、課題に気づかせることもできるでしょう」(奥澤氏)

教員の「ワクワク感」同様、やはり重視するのは子ども自身がワクワクすることだ。上記の取り組みも、動画を長く見せたり、教員が狙う感想に誘導したりすると、子どもたちは飽きてしまうだろう。アドバイザーとして指導に当たる前出の大西氏も「どんなことでもテーマにできる」と言い、こんな例を挙げた。

「幸手市は自然豊かな土地ですが、田んぼや畑への不法投棄も多くあります。子どもたちは日々の暮らしの中で『ゴミ捨て禁止』という看板を多く目にしていますが、多くが素通りして終わっている。それを教員が『あの看板があるのに、なぜゴミを捨てる人がいなくならないんだろう?』という問いにできれば、それは一気にワクワクする課題に変わるのです」

禁止の呼びかけとそれが守られないことは、旧来のインターネットや端末利用抑止の教育とも似ている。主体的な学びの姿勢が身に付けば、「ゴミ捨て禁止」の看板とゴミの姿からでさえ、子どもたちは多くのことを得るだろう。

受験のための「学力」を脱し、公立校でこそ探究学習を

PBLや充実した探究学習は、私立校が公立校に先駆けて取り組み、学校の特徴としてアピールしてきたものだ。公立校でこうした学びがなかなか広がらない要因を、奥澤氏はいくつか推測する。

「やはり第一に教員の激務が挙げられます。働き方改革も叫ばれていますが、多忙の中でこれまでになかったことを模索するのは非常に難しいし、抵抗感があるのだと思います」

また、とくに中学校においては、教員の努力だけでは変えられない点もあると指摘する。それは高校受験の存在だ。

「受験のための学力向上を求められてきた先生たちとしては、探究学習で必要な力がつくのかと疑問に感じてしまうのでしょう。でもこれからの社会で必要とされる力は本当にその『学力』なのか、考えてもらわなければいけないタイミングがきていると思います」

これは大学受験を控える高校にもいえる問題だが、実際に、探究の時間が単純な進路指導の内容に充てられていた例もあるという。だが、幸手市が着手した探究学習の実例を見ると、公立小中学校ならではの特徴やメリットが見えてくる。

まず、地域の課題に目を向けることが自分の暮らしに直結することは、公立小中学校ならではの強みだ。幸手市では長年、テーマに沿って小中学生が市政の改善点を提案する「子ども議会」を実施しているが、近年はこれを探究の学習にも活用。政治参画の意識とともに、市政への関心も生まれる一石二鳥の取り組みとなっている。さらに今年度は、市職員の政策発表会の場で、プレゼンテーション講座を受けた子どもがその成果を披露する機会を設けた。「子どもたちの発表はすばらしく、その後に発表する大人がプレッシャーを感じるほどでした」と奥澤氏はほほ笑む。

また、この6月からは小5から中3の子どもを対象に「デジタル・シティズンシップアンバサダー養成講座」を予定している。講座を修了した子どもを大使に任命するのだが、彼らに今度は市民向けのデジタル講師になってもらうことも検討しているそうだ。実現できれば、これもまた複数の利点がある。

「最近ではマイナンバーカードの取得など、インターネットを使った手続きに戸惑う一人暮らしのお年寄りは市内でも少なくありません。学校の成績が振るわない子どもも、ICT機器やデジタルの使い方には長けていることが多くあります。学んだことを生かして講師を務めることは、そんな子どもたちの自信にもつながると考えています」(大西氏)

多様な子どもが集まる公立校でこうした取り組みを行うことには、デジタル教育以上の大きな意義があるだろう。

「デジタル・シティズンシップアンバサダー養成講座」の募集要項。全4回の連続講座だ

奥澤氏は今後の展望を次のように語った。

「先生方に任せきりにするのではなく、市としての努力も続けていきたい。2023年には事例を紹介したり情報を共有したりするためのPBL専用サイトを開設する予定です。また、デジタル・シティズンシップの成熟には適切な発信も重要です。そのために、子どもたちの取り組みの成果をどう発信していくのかも考えているところです」

「先進的な自治体に話を伺うと、驚いてしまうぐらい、幸手市はまだまだ課題が多い」と言うが、奥澤氏自身も課題を解決していくことを楽しみにしている様子がうかがえる。子どもだけでなく、教員も教育委員会の担当者もワクワク感を持って進む幸手市の探究学習。これからの発展を、ワクワクしながら見守りたい。

(文:鈴木絢子、撮影:風間仁一郎)