「先生の仕事ってブラック?」の質問にひるんだ

「教員の労働環境は過酷だ」。学校現場に対するマイナスイメージは年々強まり、教員志望者は減少傾向の一途をたどっている。大阪の公立小学校教員として19年のキャリアを持つ松下隼司氏は、自身の現状をこう語る。

「連絡帳や宿題の確認、プリントの丸つけ、授業の準備、子ども同士のトラブル対処など、教員の業務量は膨大です。毎日が時間との戦いで、正直、休憩時間を返上しないと回りません。トイレに行くのを諦めることすらあります」

松下隼司(まつした・じゅんじ)
大阪府公立小学校教諭。第4回全日本ダンス教育指導者指導技術コンクールで文部科学大臣賞、第69回(2020年度)読売教育賞 健康・体力づくり部門優秀賞、大神神社短歌祭額田王賞、Presentation Award 2020 @Online優秀賞など。著書に『むずかしい学級の空気をかえる 楽級経営』(東洋館出版社)、絵本『ぼく、わたしのトリセツ』(アメージング出版)、『せんせいって』(みらいパブリッシング)

ここ数年は新型コロナ対応で、健康観察カードの確認、休み明けの生徒の補習など、さらにタスクが積み重なっているという。自宅療養期間の児童がオンラインで授業に参加できるよう、生徒の自宅まで自らパソコンを届けることもあるそうだ。

2019年の秋、松下氏は4年生の教え子に「先生の仕事ってブラックなんですか?」と、直球の質問を投げかけられた。

この問いがあまりに衝撃的で、とっさに言葉が出てこなかった松下氏は「なんで知っているの?」と返すしかなかったという。松下氏自身は、「どこで『教員=ブラック』という情報を仕入れたのか」という意味で聞いたつもりだったが、児童に対して「教員=ブラック」と認めたようにも取れる返答をしてしまったことをずっと気にかけていたそうだ。

多忙を極めていることは事実だが、教員がやりがいの多い仕事であるのも事実。よい面も大変な面も含めて、教員がどんな思いで子どもたちと向き合っているのかを知ってほしい——。そう思った松下氏は、冬休みの時間を利用して自分の気持ちを詩にしたため、学級通信に載せた。それが、絵本『せんせいって』の原型だ。

「キャリア教育の授業で、『将来の職業を調べよう』『大変な面も知っておこう』と指導しているのに、身近な先生の仕事についてはほとんど伝えられていなかったと気づき、改めて言語化してみたんです。より多くの子どもたちに知ってもらうには、絵本がベストだと思い、複数の出版社に掛け合いました」

編集者の提案で、作画するイラストレーターは松下氏自身が探した。絵のタッチだけでなく、学校との関わりなど背景まで考慮して選出したという。そして約2年の時を経て、『せんせいって』が誕生した。

絵本の原稿料も印税も受け取らない理由とは?

『せんせいって』は子ども向けに作った絵本だったが、現役教員や将来教員を目指す学生からの反響も大きかったという。

「とあるベテランの先生に、『この本には非常に大切なことが書かれている。これから先生になる人に渡しますね』と言われたときは感慨深かったです。文部科学省が立ち上げた“「教師のバトン」プロジェクト”というものがありますが、この絵本が必要な人に手渡され、まさにバトンのような存在になってくれたら、これほどうれしいことはありません」

松下氏が手がけた絵本は、『せんせいって』のほかに、子どもに対する上手な声かけ方法を、子どもの性格やタイプ別に、子どもの目線で書き記した『ぼく、わたしのトリセツ』がある。

実は松下氏は、「あなたは子どもに対して怒りすぎ」と診断されたこともあるほど、怒り出したら止まらない性格の持ち主だったという。なぜ執拗に怒りをぶつけてしまうのかを突き止めるため、毎日の出来事を細かくメモするようにすると、改善のヒントが見えてきた。『ぼく、わたしのトリセツ』は、こうした日々の記録で得られたノウハウが基になっている。

「子どもを叱りっぱなしにするのではなく、結末を考えて叱るようにしたらうまくいくと気がついたんです。僕の場合は、『最後は必ず笑わせる』と決めています。標準語で叱ると冷たい印象になりがちなので、例えば、途中からあえて広島弁に変えてみる。そうすると、教室の空気が和みます。オチを考えようと、叱りつつも頭をフル回転させているので、自分自身もだんだん冷静になれるというメリットもあります」

絵本では、具体的な注意の仕方や表現について、「こう言ってくれれば直すよ」「こうしてくれれば丸く収まるよ」と、子どもたちが先生にリクエストする形で構成している。

なお松下氏は、『せんせいって』『ぼく、わたしのトリセツ』の原稿料や印税は受け取っていない。その理由は、絵本作家としてではなく、あくまで現役教員の立場から伝えたいことがあったからだという。

「子どもたちだけではなく、今大変な思いをされている教員の皆さんにも、絵本に込めたメッセージが届いてほしいと思っています。子どもとの関わり方を見つめ直したり、自分が先生という職業を選んだ原点を思い出したりするきっかけになれば本望です」

教員は8時半始業、でも児童は8時過ぎから登校

幼い頃に父を交通事故で亡くし、特別支援学校の教員だった母に憧れていた松下氏は、中学生の頃には教員を目指すと決めていた。高校生の時に見たテレビドラマ「みにくいアヒルの子」にも影響を受け、夢をかなえるため教育大学に進学したが、その授業内容には疑問も感じたそうだ。

「小学校の教員を目指しているのに、一般教養でフランス語や古典を学ぶんです。自分が思い描いていたイメージとはあまりに違っていてショックを受けました。子どもとどう接すればいいかなど、もっと実践寄りの授業をしてほしかったし、そうすべきだと今も感じています」

現在、月に一度ほどオンラインで教員関連の勉強会を実施している松下氏。若手の現役教員からは「教員経験が浅い状況で、1クラス30人ほどの子どもたちをケアしながら授業するのは荷が重い」という声を耳にしている。

「19年教員をしている私でも、すべてを1人で担うのはきついと思うことがあります。最近では、最も緊張するのが給食の時間。黙食のルールが解除されたからこそ気を使う部分が増え、子どもによってはメンタル面のフォローも必要です。また、休み時間は子ども同士のトラブルが起こりがちなので、所用で教室を離れるときはヒヤヒヤしますね。不安そうな子どもがいたら『一緒についておいで』と声がけすることもあります」

こういった状況を改善するには、人員の補充が急務だと松下氏は力説する。クラス担任とは別に、サポートの教員を各クラス1人ずつ配置できると、時間的にも心理的にも余裕が生まれるはずだと考えている。

さらに、就業時間の規定にも懸念があると話す。

「『せんせいって』にも書いたエピソードですが、子どもたちの登校時刻と教員の始業時刻に乖離がある点はあまり認知されていないようです。私の勤務校は午前8時30分始業ですが、子どもたちは8時10分ごろには登校し始めます。子どもたちを不安にさせたくないという思いから、かなり早めに出勤している教員が大半だと思います。自分の子どもを保育園に預けてから出勤していた頃は、正直大変でした。保育園は登園時間を前倒しにできませんからね」

未来の教員の担い手を確保するためには、実情にそぐわないルールを見直し、労働環境の改善を図り、早急に働き方改革を進めなければいけない——松下氏はそう強く感じている。最後に、松下氏から読者へメッセージをもらった。

「『せんせいって』のラストでは、教員の仕事を“にじいろ”と表現しています。実はここ、学級通信の原稿ではゴールドにしていました。『金メダルでないとやっていられない』という思いから、自分のためにもそうしたんです。でも出版に当たっては、うそ偽りのない言葉にしたくて、人によってさまざまな捉え方ができる色に変更しました。教員の仕事にブラックな一面があることは紛れもない事実。ですが、もっと楽しい部分も世に知られてほしいというのが、教員という仕事を愛してやまない私の切なる願いです」

松下氏が、絵本「せんせいって」の制作前に学級通信として作成した文章
(画像は東洋経済作成)

(文:せきねみき、注記のない写真:松下氏本人提供)