「アイデンティティー」と「アダプタビリティー」の育成を図る

東京・世田谷区にある三田国際学園中学校・高等学校(以下、三田国際)は、2015年度に戸板中学校・戸坂女子高等学校から校名を改め、共学化をすることで新たなスタートを切った中高一貫校である。現在、中学の教頭を務める内田雅和氏が同校に赴任したのは、校名変更の前年である14年度のことだ。

それまで複数の私立学校でキャリア教育を担当してきた内田氏は、かねて職業教育と限定的に捉えられがちなキャリア教育に疑問を感じていた。職業に関する知識の習得にとどまらず、生徒一人ひとりが「自分らしい生き方」と向き合うことができるようになるためのキャリア教育が必要ではないか。そう考え、自ら米国CCE, Inc認定の国際的キャリアカウンセラー資格を取得した。以来、キャリア理論をベースに、キャリアを「働き方」と「生き方」から捉えるキャリア教育を推進。それを三田国際ではキャリア教育責任者として、さらに発展させてきた。

内田雅和(うちだ・まさかず)
三田国際学園中学校・高等学校 中学教頭
リクルートにおいて高校生の進路選択に必要な情報の提供や各学校の進路における課題解決を目指す業務に取り組んだ後、外資系人材紹介会社でキャリアアドバイザーや複数の私立学校でキャリア教育担当を経験。2014年に戸板女子中学校・高等学校に入職。校名変更・共学化の改革に尽力し、20年より現職。一貫して教育とキャリアに関わる仕事に従事し、日本におけるプロティアン・キャリア教育推進を目指す
(撮影:尾形文繁)

三田国際における実践のベースとなっているのは、「プロティアン・キャリア」という理論だ。プロティアン・キャリアとは、キャリア理論の専門家であるダグラス・ホール氏が提唱したもので、社会や環境の変化に合わせて、自己を柔軟に変えていくことのできる変幻自在なキャリアを指す。この理論の中でも、とくに内田氏が引かれたのは「関係性アプローチ」の考え方だった。

「キャリアは、他者との関係の中で互いに学び合うことで形成されていくとするのが関係性アプローチです。従来は、企業では上司が部下を、学校では教師が生徒を指導して成長へと導いていくというスタイルが当たり前とされてきました。しかし関係性アプローチでは、上司と部下も、教師と生徒も対等な関係にあり、お互いに影響を受け合う中で成長していくという考え方を取ります」

組織と個人、あるいは上司と部下、教師と生徒の上下関係が固定されている中では、個人は、組織や上司、教師の価値観や意向に基づいたキャリア選択を迫られがちになる。自分はどんな人間で、社会の中でどう生き、何をしたいのかについての考えを深める機会はなかなか与えられない。一方、関係性アプローチでは、個人は周囲から影響を受けつつ、自分の将来のキャリアを自律的に考え、選択していく力を身に付けていくことになる。

プロティアン・キャリアでは、個人が自律的キャリアを形成するうえで、「アイデンティティー」と「アダプタビリティー」の2つのコンピテンシーが軸になると考える。このうちアイデンティティーは、自分の価値観や興味関心、資質を適切に把握していることをいう。一方、アダプタビリティーは社会環境の変化に自己を柔軟に対応させていけることをいう。

この2つのコンピテンシーが兼ね備わることで、「自己のアイデンティティーを保ちながら、社会の変化に対応し、自分らしいキャリアを築き上げていく」ことが可能になるわけだ。

生徒同士がコーチングをし合いながら、自己理解を深めていく

では三田国際では、プロティアン・キャリアを築き上げていくための教育をどう実践しているのだろうか。

同校のキャリア教育は、中学1年生の「自己理解」、2年生の「職業研究」、3年生の「学問研究」の3つのステップで行われている。

まず1年生の「自己理解」は、入学直後に実施するオリエンテーション合宿からスタートする。この宿泊行事では、教師と生徒は対等であり、また生徒同士も対等であるという意識づけをしたうえで、3人1組ないしは4人1組に分かれて、生徒同士によるグループコーチングが行われる。「これまでの自分の人生や、これから自分はどうありたいか」について、互いにコーチングをし合いながら引き出していくのだ。

「コーチ役の生徒には、単に相手の話を傾聴するだけではなく、気づいたことをアドバイスシートに書き込むように求めています。生徒は自分のことについて書かれたアドバイスを読みながら、自己理解を深めるためには、自分一人で考えるのではなく、他者の言葉に耳を傾けることも大切であることに気づかされます」

生徒はコーチング後に、「自分はどんな人間になりたいのか、どんな人生を歩みたいのか」について目標設定シートを作成する。このように、ある一つの活動をした後には必ずリフレクション(内省)の機会を設けていることも、同校のキャリア教育の特徴だ。

三田国際では中学1年生の「自己理解」、2年生の「職業研究」、3年生の「学問研究」の3つのステップでキャリア教育が行われている。写真は入学直後に実施するオリエンテーション合宿の様子

また夏休みに生徒たちに課しているのは、小学校時代にお世話になった学校や塾の先生にアポイントを取り、「自分はどんな子どもだったか」についてインタビューをすること。そして2学期に実施する学園祭では、「自己理解」をテーマに、生徒一人ひとりが10分間のプレゼンテーションに取り組む。プレゼンテーションは、みんなの前で、自分の考えを自らの言葉で表現していく力を磨く貴重な機会となる。

働くことの意味や価値を考えさせる

こうして1年生のときに「自己理解」の活動を通じて、自己のアイデンティティーと向き合う経験を積ませたうえで、2年生では広く社会に目を向けさせるために、「職業研究」に取り組んでいく。

具体的には、まず学校が用意した企業に、グループ単位で訪問を行う。そのうえで生徒には、「もしほかにも気になる企業があるのなら、自分でアポイントを取って企業訪問をしてごらん」と呼びかける。すると約8割の生徒が実行に移すという。中には先方から断られてもすぐには諦めず、「なぜ御社に興味があるのか」を粘り強く説明し、訪問を実現するという生徒もいるそうだ。

内田氏が職業研究の際に生徒たちに伝えているのは、「この活動は、将来なりたい職業を決めることが目的ではないからね」ということだ。自己のあり方・生き方をつねに模索し続け、また自己を取り巻く社会環境も刻々と変化している中では、なりたい職業も往々にして変化していくのは当然のことだからだ。

「目指しているのは、職業人と触れ合うことによって、生徒の社会や職業に対する思考の幅を広げることです。働くということは社会的にどんな意味があるのか、働くことによって人は何を得られるかといったことを、生徒が自分なりに考える機会にしてほしいと思っています」

同様に3年生の「学問研究」においても、グループで大学訪問をするとともに、興味を持った大学教授がいるときには、生徒がアポイントを取って教授の元を訪問するといったことが行われる。そして1年生と同じく、学園祭のときに2年生は「職業研究」、3年生は「学問研究」をテーマに、1人10分間のプレゼンテーションに取り組む。

「学園祭でのプレゼンは、高校1年生では学年の代表が『自分の将来ビジョン』をテーマに行います。これでキャリア教育にはいったん区切りをつけ、2年生以降はこれまで培ってきた自己理解や仕事、学問への理解を踏まえたうえで、自己の進路実現に向けて取り組んでいくことになります」

学園祭のときに中学1年生は「自己理解」、2年生は「職業研究」、3年生は「学問研究」、高校1年生では学年の代表が「自分の将来ビジョン」をテーマに1人10分間のプレゼンテーションを行う

なお三田国際ではキャリア教育だけではなく、普段の授業においてもPBL(問題解決)型授業を数多く採り入れるなど、生徒に対して、さまざまな社会課題に目を向けさせ、その解決策を生徒自身に考えさせることに力を注いでいる。

プロティアン・キャリア教育は、今後も進化を続けていく

このように三田国際のプロティアン・キャリア教育は、他者との関わりの中で自己や社会に対する理解を深め、またリフレクションやプレゼンテーションの機会を数多く設けることで、自分のキャリアに対する考えを言語化する力を磨いていくことを重視しているといえる。

15年度の校名変更時に入学してきた1期生たちは、現在は同校を卒業し、ちょうど20歳前後の年齢に当たる。「卒業生たちを見ていると、その多くが自らのキャリアを自律的に歩もうとしていると感じる」と、内田氏は話す。

例えばある卒業生は、持続可能な食のあり方や、多様な価値観や生き方を受容できる社会をどう実現していくかというテーマを持って、大学での学びに取り組んでいる。卒業後は起業を視野に入れつつ、一方で就職をするという選択肢も捨てずに、自分が進むべき道を考え続けているところだという。

また同校の卒業生の場合、プロティアン・キャリア教育を通じて、自分が大学や社会でやりたいことを明確に言語化できていることもあり、総合型選抜入試の合格者数が多いのも特徴だ。

「取り組みに対する手応えは感じています。ただしプロティアン・キャリアが目指すのは、社会の変化に柔軟に対応していくことです。本校のキャリア教育についても、『今のやり方でいい。変える必要はない』と決めつけるのではなく、社会や生徒の状況を見ながら、つねに進化し続けていきたいと考えています」

(文:長谷川敦、注記のない写真:すべて内田氏提供)