作家の心を動かした子どもの貧困問題

「うわあ、焼きそばだ」
美貴は勇希のお皿には、できるだけそばを入れた。たった一玉のそばだから
美貴のお皿のそばは五、六本しかない。キャベツもニンジンも少しだ。
「おいしいね。もっともっと食べたい」
勇希は五口で食べ終わった。美貴は自分のお皿に残っていた一口分の野菜を、勇希のお皿に移した。
「お姉ちゃん、どうしてうちは貧乏なの」
勇希が美貴の目を見た。美貴は勇希の目を見ないように外を見た。うちがなぜ貧乏なのかを話すと、まだおなかがすいていたので、涙が出てしまいそうな気がした。

中島信子『八月のひかり』より

作家の中島信子氏が児童文学作品としては約20年ぶりに発表した『八月のひかり』。小学5年生の主人公・田端美貴の目線で、母と小学2年生の弟・勇希との夏休みの日々を描いた作品である。冒頭に引用したのは、その一節だ。

困窮する家庭の現状を描いた児童文学作品『八月のひかり』
(撮影:ヒダキトモコ)

とある事情からひとり親世帯になった田端家では、夏でもシャワーやエアコンを制限する日々。十分な食材を買えず、母に代わって家事をする美貴は、キャベツの千切りで料理のかさ増しをしながら、「豚肉がたくさん入った焼きそばを、おなかいっぱい食べてみたい」と考える。そんな貧しさからくるいじめや貧困の連鎖。児童文学作品でありながら、困窮する家庭の現状がリアルに描かれ、話題となった。

作者の中島氏は1980年にデビューしてから『いつか夜明けに』(岩崎書店)でいじめ、『白い物語』(汐文社)で原爆、『冬を旅する少女─美和子12歳』(ポプラ社)で犯罪加害者家族と、厳しい状況に置かれた子どもの姿を描いてきた。現在は、フードバンク狛江の副理事長も務める中島氏に、子どもを取り巻く状況や、厳しい状況に置かれた子ども、そして作品への思いを聞いた。

物語の舞台に夏休みを選んだ理由

──20年ぶりの新作に、子どもの貧困を選んだのはなぜでしょうか?

短編や大人向けの本は書いていたのですが、2000年ごろから児童文学の体質が変わったのです。その頃、2社の編集者の方に言われたのが、「もっと軽いものを書かないと売れない」とのこと。私がマイノリティーの子どもばかり書いていたからです。

しかし、子どもは本当にさまざまな思いを抱えています。私にはテーマが明確でないものは書けませんから、「だったら書くまい」と思ったのです。その間、短大で非常勤講師を務めたり、孫の面倒を見たりもしていたのですが、マイノリティーの子どもたちのことはつねに心に引っかかっていました。子どもの貧困問題について、メディアなどで大きく取り上げられるようになったのもこの頃です。

──09年に厚生労働省が日本の子どもの相対的貧困率を公表したほか、『子どもの貧困白書』(明石書店)が発刊されましたね。

子どもの貧困についていつか書けたらと思い、資料を集めていました。そんな時、亡き夫で詩人の桜井信夫の来し方を書いた『君棲む数』を出版したエスプレス・メディア出版の編集者の方から、「子どもの貧困を書いてみないか」というお話をいただいたのです。「これは書けるかもしれない」と思った頃、新聞で「NPO法人フードバンク狛江」の記事を読みました。

その第1回通常総会に取材として出席した際、理事長が「今は見えない貧困ではなく、“見せない”貧困です」とおっしゃったのです。私が子どもの頃はみんなが貧しかったので、貧困が当然のように見えていました。それが、現在は貧困であることを見せないようにするのです。その言葉に大変なショックを受けました。また、「長い休みに入ると、貧困家庭の子どもは非常に苦しい」とも聞きました。給食で生きている子が現実にいるのです。夏休みなど長い休みになると、給食がなくなる。それがどんなに大変なことなのか。そこで、(夏休みを舞台にしよう)と考え、一気に書き始めました。

「なぜ自分だけが」と苦しむ子どもがいる

──食べることに精いっぱいな美貴たちの日々は非常にリアルですが、モデルはいるのでしょうか?

モデルはいません。貧困家庭の子を取材することはできませんし、もともと私はさまざまなマイノリティーの子どもを描いてきましたが、どの物語も子どもへの取材をしたことはありません。美貴ちゃんも勇希君も、原稿用紙から立ち上がってきた人物なのです。

『お母さん、わたしをすきですか』(ポプラ社)という作品で書いたように、私は親と確執がある子ども時代を過ごしました。何かあると私のせいにされ、たびたび母に夜の外に出されていました。当時は街灯なんてありませんから、夜は真っ暗です。

私が小学3年生の時、弟が初めて外に出されて大泣きしました。かわいそうにと思った私は一緒に外に出て、弟をひざに乗せて「月が出た出た」を歌いました。しばらくして雨戸が開き、弟が飛び込んでいきました。私も入ろうとすると、「あなたは好きで出たのだから入れません」と母が目の前で戸を閉めました。

その時、拳を口に入れて大泣きし、「この悲しみをいつか大人にわかってほしい。それを伝える人になろう」と思いました。そして、親に疎まれるつらさ、先生に理解されないつらさ、その時に見た青空や夕焼けの色、風、すべて覚えておこうと決めたのです。自分の中に取り込んだその記憶があるので、子どもが描けるのかなとも思います。

──そうして『八月のひかり』が生まれたのですね。

実は、原稿が書き上がった時、担当してくださった編集者がご家庭の事情で会社を辞めてしまい、原稿が宙に浮いてしまいました。しかし、その頃「フードバンク狛江」に入会して活動するようになり、理事長から「その物語を早く読みたい。なぜ営業しないの」と言われたのです。そこで、戦争児童文学を出版していた汐文社に原稿を送ってみました。2カ月後に連絡があり、トントン拍子に出版が決まり、上梓されました。手を入れたのは3行のみ。学童について取材をし直し、間違いがないかを確認した点でした。

──この物語を通じて最も伝えたいことはどんなことでしょうか。

「大人よ、わかってくれ」ということでしょうか。フードバンク狛江では子育て世帯への食品提供を行うほか、学習支援に集まる子どもにお菓子や飲料を提供もしています。食品お渡し会でお菓子を「2つまでね」と言うと、子どもたちはどれにしようか、あれにしようかとものすごく真剣に選びます。

私の子ども時代はお菓子といえばお煎餅やかりんとうくらいで、お菓子屋さんそのものが身近にありませんでした。しかし、現在は違いますよね。貧困家庭の子どもの中には、お菓子売り場に行かないという子もいると聞きます。何でもあるからこそ、自分だけが手に入れられないつらさがあるのです。貧困の中にいる子は「なぜ自分だけが」という思いで生きてもいます。給食だけで生きていかなければいけない子もいます。そういう現実があるということを多くの人に知ってほしいですね。

フードバンク狛江では、給食のない休み期間中に、希望する子育て世帯に無償で食品をお届けしています。今年の春休み期間には151世帯に提供しました。提供する食品は、個人、企業、生協などから提供していただいたおコメやレトルト食品など、長期保存が利くものが中心です。生鮮食品の提供は難しいのですが、今後は野菜の提供もできたらと話し合っています。

『八月のひかり』を通じて伝えたい思いについて話す中島氏
(撮影:ヒダキトモコ)

本当に大変なのは「物語のその後」

──物語の最後に、美貴と勇希に小さな幸運が舞い込みます。それがタイトルにある「ひかり」なのでしょうか。

そうでもあります。でも、書いていて思ったのは、「この家庭にとって本当の戦いはこれからだ」ということです。『八月のひかり』では2人とも小学生ですが、中学生になれば制服も必要ですし、食べる量も増えます。中学生までは児童手当がありますが、その後はありません。足が悪い中、スーパーでパートをしているお母さんは、だんだん体の無理が利かなくなるかもしれません。

「生活保護を受ければいいのに」という声もありますが、なかなか受けられない現実があります。中には、役所とのやり取りで心が折れてしまう人もいるようです。私の中では、「このお母さんも一度は生活保護を受けようと思ったけどやめた」という設定にしています。お母さんは必死に踏ん張っているからこそ、これ以上つらい思いはしたくないと考えたのです。

フードバンク狛江の食品お渡し会でも、素敵な服装でいらっしゃる方もいます。それはせめて心は普通でありたいという思いでは、と胸がいっぱいになります。これもまた、「見せない貧困」なのではないでしょうか。

──あの子たちの今後が気になります。

『八月のひかり』の続編が読みたい、という声もいただくのですが、簡単には書けないです。この家庭にとっての解決法がまだ見つからないんです。物語に出てくるシングルファザーと結婚させるというのも、男の人次第になってしまい、根本的な解決にはなりません。

今はお金がある人はより蓄積され、ない人はより減らされていき、政治はそれを平気で見ています。悲しいくらい、救えないなあと思います。現実でも簡単に貧困は解決しません。私は子どもの作品を描くときは真摯であろうと思ってきました。子どもは、大人より考えています。目線の高ささえ違いますし、大人のように体力も知恵もない。そうした中で必死に生きようとしているんですよね。

──その悲しいほどの現実を児童文学で描く意義とはなんでしょうか?

「こういう子もいるんだよ」という子どもの代弁者であると同時に、「頑張れ」「死なないで」という私からの応援歌なんです。昔は本に作者の住所が載っていたので、本を読んだ子どもたちからの手紙が段ボールいっぱいに届きました。その中には「私も同じです」という手紙もありました。

『八月のひかり』の後に出した『太郎の窓』は、女の子の心を持った男の子が主人公なのですが、それを読んだ男の子のお母さんが「私の子が書かれている」と言ったそうです。その話を知人から聞いて、いつかその子が「僕だけじゃない」と思ってくれるのではないかと思いました。

『八月のひかり』も代弁者の気持ちで書いたのですが、本は高いので、その子たちに届くかなあという思いもあります。大人でも心にゆとりがないと本は読めないですよね。図書館で手に取ってくれたらうれしいのですが、図書館に行くエネルギーがあるだろうか、と。

本当に必要な人に届いているか

──フードバンクでは届ける相手の顔が見えるということでしょうか。

フードバンク狛江のお渡し会などでは、会員やボランティアの皆さんが、「あの子がまた来てくれたね!」と喜びます。来なくなったのは、生活が改善したからかもしれませんが、そうでないかもしれない。だから、元気な顔を見られる、お菓子が渡せるというのはとてもうれしいことなのです。「重いよ〜」と言いながら食品を持って帰っていく姿を実際に見ると、フードバンクに入会してよかったなと思います。

それでも「貧困にあえいでいる人にきちんと届いているだろうか」と思う時があります。パソコンやスマホを持っていない人には、食品を提供している場所があるという情報が届いていないのではないかと。本来は「公助→共助→自助」であるべきなのに、今の日本は「自助→共助→公助」の順番になっていますよね。

──最後に、子どもたちに伝えたいことはなんでしょうか。

「あなたを本当に見つめてくれる大人を探して」でしょうか。それから、「自分の置かれた立場は自己責任ではない」ということです。今はいじめさえ子どもの自己責任だと言いますから。「貧困まで自己責任にするなんて、なんなんだこの国は」と思ってしまいます。

それから、図書館に行くなりして、ぜひ本を読んでほしいですね。その中に生きていく意味の答えがあるかもしれない。魔法の話でも一時の夢をもらえるかもしれないし、自分の未来を見いだせるかもしれません。よく言われるように、本は友達になりうるからです。

中島信子(なかじま・のぶこ)
児童文学作家、NPO法人フードバンク狛江副理事長
1947年長野県生まれ。東洋大学短期大学在学中に詩人・山本和夫氏に児童文学を学び、出版社勤務などを経て創作活動に入る。75年に北川千代賞佳作を授賞した『薫は少女』(岩崎書店)でデビュー。2019年、児童文学作品としては約20年ぶりに発表した『八月のひかり』(汐文社)が話題に。近著に『太郎の窓』『あしたへの翼 おばあちゃんを介護したわたしの春』(ともに汐文社)がある
(撮影:ヒダキトモコ)

(企画・文:吉田渓、注記のない写真:TATSU / PIXTA)