今、教育現場は慢性的な人手不足だ。新学期から学級担任が決まらない学校もあれば、一部の授業ができない学校も出てきている。こうした例は、ほんの一部にすぎないのだろうか。直近はどうなっているのか。問題が深刻だとすれば、どのような対策が必要だろうか。

妹尾昌俊(せのお・まさとし)
教育研究家、合同会社ライフ&ワーク代表
徳島県出身。野村総合研究所を経て、2016年に独立。全国各地の教育現場を訪れて講演、研修、コンサルティングなどを手がけている。学校業務改善アドバイザー(文部科学省委嘱のほか、埼玉県、横浜市、高知県等)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁において、部活動のあり方に関するガイドラインをつくる有識者会議の委員も務めた。Yahoo!ニュースオーサー、教育新聞特任解説委員。主な著書に『教師と学校の失敗学 なぜ変化に対応できないのか』(PHP新書)、『教師崩壊』(PHP新書)、『こうすれば、学校は変わる! 「忙しいのは当たり前」への挑戦』(教育開発研究所)、『学校をおもしろくする思考法 卓越した企業の失敗と成功に学ぶ』『変わる学校、変わらない学校』(ともに学事出版)など多数。5人の子育て中
(写真は本人提供)

4月時点で約2割の小中学校で教員不足の可能性

私は、「School Voice Project」という教員の声を可視化する活動を行っている団体と、日本大学教授の末冨芳さんと共同で、「#教員不足をなくそう緊急アクション」という教員不足の実態把握と政策提言を続けている(本稿は筆者個人の見解)。

実態把握の一環として、この4~5月に公立小中学校の副校長・教頭向けにアンケート調査を行ったところ、1070件の回答があった(ただし、設問に応じて一部の回答は除いて集計している)。

まず、教員不足が起きているかを聞いたところ、昨年度を通じて一度でも起きたという回答は、公立小中学校の4割近くであった。また、4月の始業式時点で不足が起きているか聞いたところ、約2割の公立小中学校で起きているという回答だった。4月末時点も聞いたが、多くの学校では改善していないこともわかった。

教員不足が起こると、教務主任など学級担任ではない人を急きょ担任に据えたり、場合によっては教頭らが担任の代行をしたりする。冒頭で述べたような、授業の一部がストップする例は多いわけではないが、この4月に実際に起きていた学校もある。

昨年度、文科省が初めて教育委員会向けに調査を行ったが、そこで判明した教員不足は、公立小中学校の4.8%ほどだった。今回の私たちの調査では、それよりもそうとう多くの学校で不足している可能性を示唆する。

だが、今回の調査で出た2割とか4割という数字にすごく意味がある、とは私は捉えていない。この手のアンケート調査には、問題に直面している人ほど回答しやすいなど、一定のバイアスが生じやすいからだ(教員不足が生じていない学校も回答してください、とは呼びかけたが)。

とはいえ、そうした調査の限界を割り引いたとしても、教員不足の問題は、昨年度文科省が把握した時点で、事態がもっと深刻だった可能性は残ると思うし、今現在も深刻な学校が相当数あることは事実だ。もはや、教員不足は珍しいことではないのだ。

しかも、この問題は、4月、5月よりも年度途中にいっそう深刻化する可能性が高い。産育休や病休により年度途中も欠員になりうるし、年度途中から急に「先生になってくれませんか?」と打診されても、多くの人はすでに就職済みだから、なかなか学校に来てくれないし、しかもそんな都合のよい人材は多くない。

子どもたちの学びに大きな影響、被害を与えてしまう

教員不足をどう定義づけるかは難しい問題を含んでいるが(前回記事参照)、大事なポイントとしては、予定していた教員数が配置できない、欠員状態ということである。

日本では学校だけでなく、医療や福祉をはじめとして、さまざまな業界で人手不足は深刻だ。私も「学校にだけ人をよこせ」と無責任に言うつもりはない。

だが、教員不足というのは、学級担任の不在やたびたびの交替、専門外の先生が授業を担当すること、場合によっては授業がしばらくできない状態を引き起こしかねない。例えば、愛知県内のある公立中学校では、昨年1学期の美術の授業ができなかった。

公立小中学校では通常、子どもたちは学校を選んで通っているわけでもない。「学校ガチャ」と言うと語弊があるかもしれないが、たまたま教員不足が発生している学校、クラスにいたからといって、子どもたちの学びに大きな影響、被害を与えてしまう事態はアンフェアだし、放置するべきではない。

教員不足の背景、要因はさまざまなものが絡み合っている。ここでは詳しくは述べないが、要するに、産育休や病休また特別支援学級の増加などで教員需要は高いにもかかわらず、供給量不足なのである。

免許を持っていない社会人の採用には各自治体とも消極的

では、どうするか。供給増に向けた1つの対策は、社会人からの転職を促すことであろう。主には2通りの方法がある。

1つは、教員免許を持っていない社会人でも、一定の資質のある人は教員になれるようにすること(特別免許状の活用など)。もう1つは、教員免許を保有する社会人、あるいは育児などの理由で一度教員を辞めた人に、先生になってもらうことだ(採用における社会人経験者枠の拡充など)。教員資格認定試験の活用など、そのほかの方法もあるがここでは割愛する。

前者の特別免許状の活用について、文科省は4月下旬に全国の都道府県教育委員会などに通知を出し、この制度の積極的な活用を促している。というのも、多くの教育委員会は特別免許状の活動に非常に慎重、あるいは消極的だからだ。

この制度を活用しているのは私立学校のほうが多く、公立学校に限ると、全国で101件しかない(2019年度)。しかも、英語や看護に偏っているし、公立小学校だけで全国に約1万9000校もあるというのに小学校での活用例は極めて少ない(英語13件)。

公立小学校に限って考えても、教員不足の数は、昨年度の文科省の調査をベースにすると1000件程度。前述のとおり、私たちの調査も踏まえると、実際の不足はもっと多い可能性が高い。特別免許状の発行が現行の100倍くらいになっても、カバーできないかもしれない。

この制度の使いにくいところや問題点などがあれば、改善していくべきだが、やはり各教育委員会としては、教員免許を持っていない人を雇って大丈夫かという点に不安があるのだろう。また、教員になってほしいという人材が、おいそれとエントリーしてくれるものでもないのだろう。

教職員組織に多様性を高めるという点からも、特別免許状の活用は大変重要な取り組みだと思うし、民間出身者のほうが得意なこともあるかもしれない(例えばキャリア教育の推進や地域との連携など)。

しかしながら、特別免許状の活用が今後もう少し拡大したとしても、数は全然足りないので、ここ1、2年の教員不足解消に有効な手だてになるとは考えにくい。

小学校教員の採用で、企業などの経験者は3%

次に、教員免許を持っている社会人の採用拡大については、すでに各地で筆記試験を免除するなど、特別選考を実施する例も多くなっている。

年齢制限を撤廃する自治体も増えていて、2020年度実施の採用試験(文科省「令和3年度〈令和2年度実施〉公立学校教員採用選考試験の実施状況について」)では、68県市中47自治体で年齢制限はない(本題からはそれるが、能力をまったく評価せず、年齢ではじくというのは、教育機関の資質としていかがなものかと思う)。

だが、採用者のうち、民間企業等勤務経験者は、小中学校で3~4%にすぎない。受験者についてのデータは公表されていないようだが、もともと企業等経験者の受験者も少ない可能性が高い。

なぜそうなっているのか。背景・要因をもっと丁寧に診断していく必要はあるが、おそらく、免許を保有している社会人の多くにとって、学校の過酷な労働環境が敬遠されていたり(企業などで仕事を続けるほうがワーク・ライフ・バランスがよい)、給与などの処遇面が魅力的でなかったりする可能性がある。また、免許を持っているとはいえ、子どもを相手にする難しい仕事であるし、一部にたいへん苦慮する保護者がいるのも事実なので、やっていけるのか不安だという声も聞く。

私としては、学校をもっと社会人に目指される職場にしていく必要を感じているが、免許保有者の採用増という対策も、それほど簡単な話ではない。

社会人よりも「学生が教職を目指す」施策のほうが重要

つまり、教員免許を保有しない人、また保有している人、いずれについても、適切な人材がいるならば、社会人経験者の採用は拡充していくべきだろう。だが、こんにち深刻化している教員不足の解消への切り札にはならない。

では、解はどこにあるのか。

私は、社会人経験者よりも、学生がもっと教職を目指してくれるようになることが、より重要なボリュームゾーンであると考える。

教員免許を取っても、採用試験に行かない人も相当数いるからだ。免許状は校種をまたいで複数取得する人もいるし、「とりあえず免許取得しておきたいだけ」という学生もいるから、免許状授与件数よりも受験者数が少なくなるのは自然だ。とはいえ、単純計算すると、小学校では約1万人、中学校では約3万人、高校では約4.5万人、特別支援学校では約1万人、採用試験に進まず、取り逃している可能性がある。社会人枠などよりも、はるかに大きなボリュームゾーンがここにある。

さらに申し添えると、教員免許取得まで進まず、途中で断念する学生も相当数に上る(管見の限りではデータは見当たらない)。この大変な中、教員という仕事に関心を持ってくれる学生はまだまだ少なくないのだが、さまざまな理由で免許取得や採用プロセスに進まないケースも多いのである。

ここでも、過酷すぎる学校の労働環境の問題なども関連してくるが、学生にとって何が障壁になっているのか、何か対策が打てる余地はないのかなどを、もっと診断し、早急に動いていくことが、国と自治体には必要だ。

国、自治体、学校がすぐ動くべきこと

各地の教育委員会と学校の役割として、やはり、長時間労働の是正は一丁目一番地であろう。ましてや、勤務時間の改ざん、過少申告などが起こり、くさい問題にふたをするような姿勢や問題の先送りは、学生・若者、社会人などにどう見えるだろうか。

教員不足が発生しているくらい、各学校は苦しい状況であることは承知しているが、「文科省が悪い、財務省が予算をつけてくれないから悪い」などと他人のせいばかりにして、自分たちの職場を改善しようとしないようでは、優秀な人材ほどそっぽを向くだろう。

国の役割としては、こうした学校などの取り組みを、せめて邪魔しないでいただきたい。つまり、現場の仕事を増やすな、と申し上げたい(学習指導要領や新型コロナウイルス対応をはじめ学校の業務は増え続けている)。

また、もっと学生向けに教職を目指すメリット、インセンティブをつけることが必要ではないだろうか。一案として、私たちの「#教員不足をなくそう緊急アクション」では、教職に就いた場合(あるいは一定年数勤務した場合)の奨学金返済免除を日本学生支援機構に提案している。これは日本育英会のときに1997年度まであった制度だ。

返済不要の奨学金を設けることは、教員集団の多様性を高めることにも資する可能性がある。昨今、家庭の社会経済的環境によって学力や進路に差が出る「教育格差」の是正は、日本社会の大きな課題の1つである。教員にもさまざまなバックグラウンドを持った人がいるほうが、児童生徒の理解や支援によい影響があると思う。

そして、何より、こうした施策を国が打つことは、学校の先生を大事に思っているというメッセージになる(教員以外のスタッフへの支援も重要なことは申し添えたいが)。現役の教員にも、学生などに対しても応援するメッセージとなろう。

戦争に例えるのは不適切かもしれないが、学校現場は、戦場のごとく、高いストレスを抱えつつ、予測困難な問題、大小さまざまなトラブルへの対処に追われている。教員不足を放置する国・自治体の姿勢は、十分な補給も援軍も送らず、「とにかく踏ん張れ」と精神論を言っているだけのようなものだ。そして、犠牲になるのは、いつも子どもたちだ。早くこの愚かさと深刻さに多くの人が気づいてほしい。

(注記のない写真: EKAKI / PIXTA)