研修履歴はあってもいいが、その程度のもの

衆議院本会議は4月12日、教員免許更新制を廃止して教員の研修記録作成を義務づける法改正案について、与野党の賛成多数で可決し参議院に送られた。

免許更新制にはさまざまな問題があったので、廃止することは大賛成だ。「一部の教育改革をやめる」という珍しい決断をした関係者(政治家・文部科学省・中央教育審議会など)の頑張りは、称賛したい(私は、全国学力調査なども弊害のほうが大きく、ストップをかけてほしいと考えているが)。問題は、研修履歴作成の義務化のほうである。はたして、意味のあることなのか。

ビジネスパーソン、あるいは公務員などの読者であれば、貴社(貴団体)では、研修履歴を使って効果的な人材育成はなされているだろうか? そもそも文科省では活用しているのだろうか……今度国会で答弁してほしい。

例えば、

「〇〇君、もっとデータ分析のスキルを高めたほうがよいから、今度研修受けてみたら?」
「△△さんは、忙しい中でもたくさん研修を受講していて偉いね」

こういった会話は、上司と部下との間でなされているかもしれない。

仮にこの程度だとすれば、研修履歴の活用は、あってもいいなというくらいのもので、これにより人材育成がすごく進むと考えるのは、楽観的すぎるだろう。そもそも、研修を受けたからといって、大して身に付いていないケースもあるし、業務にすぐに役立てられるとは限らない。とはいえ、すぐに役立つ研修ばかりが重要というわけでもないが。

話を学校、教師について戻そう。今回、わざわざ教育公務員特例法を改正する動きなのだが、国が義務づけまですることなのか。

研修履歴管理の義務化の理由が不明瞭、国が口出しする副作用も

そもそも、何のために研修記録の作成を義務化するのか。その目的、必要性がよくわからない。

別の拙稿にも書いたが、衆議院での審議を聞いていると、「教師の質が確かであると言いたいため」という理由が浮上する。要するに「教員免許更新制がなくなって、先生たちの質は大丈夫か」と心配する声が一部にある、また今後出てくる可能性があるので、「大丈夫ですよ」と言いたいようだ。中教審で同案を中心となって取りまとめた兵庫教育大学 学長の加治佐哲也氏も、国会答弁で、教師に一定の質があるということを示す、質保証の必要があるという趣旨の発言をしている。

だが、てんでおかしな理屈である。全体の中では一部だろうが、問題のある教師が研修を受けたからといって、安心はできないからだ。

例えば、医師や弁護士、あるいは保育士などでもよい。重大なミスを繰り返す人や問題行動を起こす人がいたとしよう。「研修を受けているから、大丈夫です」と言われて研修履歴を見せられたとして、あなたは納得するだろうか? そうした専門職に頼りたいと思うだろうか?

「先生たちはしっかりしていますよ」と言いたいなら、必要なのは研修記録ではなく、問題行動などをいち早くキャッチできるようなモニタリングの仕組みや適正な処分である。

妹尾昌俊(せのお・まさとし)
教育研究家、合同会社ライフ&ワーク代表
徳島県出身。野村総合研究所を経て、2016年に独立。全国各地の教育現場を訪れて講演、研修、コンサルティングなどを手がけている。学校業務改善アドバイザー(文部科学省委嘱のほか、埼玉県、横浜市、高知県等)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁において、部活動のあり方に関するガイドラインをつくる有識者会議の委員も務めた。Yahoo!ニュースオーサー、教育新聞特任解説委員、NPOまちと学校のみらい理事。主な著書に『教師と学校の失敗学 なぜ変化に対応できないのか』(PHP新書)、『教師崩壊』(PHP新書)、『こうすれば、学校は変わる! 「忙しいのは当たり前」への挑戦』(教育開発研究所)、『学校をおもしろくする思考法 卓越した企業の失敗と成功に学ぶ』『変わる学校、変わらない学校』(ともに学事出版)など多数。5人の子育て中
(写真は本人提供)

私は研修履歴の管理、活用自体に反対しているわけではない。だが、あったらいいなという程度の、チマチマしたことまで、いちいち国に口出しされ、強制されないといけないのか。文科省は、子どもたちには主体性が大事だと言いながら、教育委員会や学校の主体性、自主性を奪っていることには関心がないようだ。

国に言われたからやる(言われないとやらない)という教育委員会や学校を増やして、どうするのだ。

新型コロナウイルス感染症の影響やテクノロジーの発達などもあって、誰にとっても先行きが見えにくい。子どもたちの特性や個性も多様だ。そんな中、各地で試行錯誤しながら、徐々によくしていくしかないことも多い。国からの指示や方針を待っているだけでは遅いし、オールジャパンであれこれ進めては、軌道修正が迅速にできない。タイタニック号のごとく、大きな船では舵の変更がすぐには利かないのと同様だ。導入当初から反対意見も強かった教員免許更新制の廃止が、ここまで時間がかかったことからも言えると思う。

また、国会でも今回の改正に伴う校長や教頭、教員の負担について話題に上っていたが、教育委員会の仕事、それも仕事のための仕事のようなものを増やしてしまうことも心配だ。法律で義務づけられているものなので、「研修記録の活用は行っていますか?」という調査を各校にすることが予想できる。

あるいは、研修記録を取ってもあまり活用できていない、形骸化しているなどと、地方議会や私のような者が批判しようものなら、「ちゃんとやってますよ」という報告を教育委員会や学校で作る、というような仕事が増えるかもしれない。教育委員会職員や教頭が書類作業でさらに忙殺されるようでは、教師の学びを促すことからはマイナスである。

「教師不足」で講師の資質うんぬんなど言っていられない

「いやいや、文科省としては、子どもたちのために、全国どこでも、一定の資質を持つ教師がそろっていることを確保するために、今回の研修履歴の活用も含めて、教師の新たな学びを整備していく必要がある」

おそらく文科省はそう言うと思う。

このロジックがおかしいこと(研修履歴の義務化とつながらない)は前述したが、それでも、そこまで教師の質が大事だと言うなら、文科省と教育委員会は、教師不足の問題にもっと時間と予算と頭を使うべきだ。

これも地域差や校種による差はある話だが、この4月当初から欠員、未配置を抱えたままスタートしている学校もある。年度途中に産育休や病気休職、また離職(退職)が出れば、そこをカバーする先生がいない。小学校で学級担任が配置できず、やむなく副校長・教頭が代行する。中学校や高校で専門外の先生が授業をしないといけない。ここ数年、そんな事態が各地で起きている(全国で2558人「先生足りない」教員不足の実態、専門家どう見る?)。

本当は、誰だっていいわけではないのだ。だが、代替要員として来てくれる、しかもこの忙しい現場を助けてくれる講師の資質をうんぬんしている場合ではない、というのが多くの学校現場の実情であろう。ある市では講師バンク(登録者)が枯渇しており、十数校待ちの状態だという。つまり、講師を選んでいられないのだ。

しかも、教員採用試験に不合格だった方や大学を出たばかりで経験のない方、または70歳前後の方が講師になっていて(もちろん、そうした方の中にはすばらしい方もいるが)、ろくな研修もなく、即戦力として活用しようとしている。

教師の質の保証とか向上と言うなら、この問題にもっと対処することのほうが、はるかに重要である。

たいへんな難題ではあるが、例えば、ピンチヒッターとして駆けつけてくれる講師の処遇を上げることや、社会人からの転職障壁を減らしていくこと、また、今は各校の校長などが人脈を頼りに講師になってくれないか電話をかけまくっているが、人材募集を広域でスマートに進められる仕組みをつくることなどは、国がもっと関わっていいと思う。もちろん、採用を担う都道府県・政令指定都市などの教育委員会が進めるべきことも多い(正規採用を絞りすぎていないか、採用計画の検証・見直しなど)。

教師の質の保証、向上が重要なことは誰も反対しない。だが、そのための手段として、本当に国と各自治体がやるべきことは何なのか。くれぐれも書類を増やして、仕事をした気にならないでほしい。

(注記のない写真:SuperOhMo / PIXTA)