
「学力では測れない能力」のほうが必要になっている
2020年3月、新型コロナウイルス(以下、コロナ)の感染拡大によって、全国の学校で一斉休校が実施された。長いところで3カ月ほど休校になった学校もあったが、その対応にはかなりの差があったことを覚えている人は多いだろう。
コロナ以前から、ICTを活用した教育に力を入れていた多くの私立では、子ども一人ひとりにタブレットやパソコンを配布していたことから、オンライン授業にスムーズに移行できた。一方、公立では宿題としてプリントを配布するのが手いっぱいで、学びを継続できた学校は本当に少なかった。
こうした学校の対応の違いが、休校期間中の子どもの過ごし方に大きく影響した。とくに家庭のIT環境や教育方針、保護者のサポートの有無などが、子どもたちの学びを左右し、学力差を拡大させたという調査もある。しかし、問題はそれだけではないようだ。コロナ禍における日本の格差社会の問題点について警鐘を鳴らしている社会学者で、中央大学文学部教授の山田昌弘氏は、次のように指摘する。
「昔は、学力だけでよかった。受験を突破していい学校に入れば、メドがつきました。ところが今は、英語力、コミュニケーション力、デジタル力、さらには人脈力など学力では測れない能力のほうが必要になっている。非認知能力ともいわれていますね。工業型社会から情報やサービスを中心とする第3次産業中心の社会へ移り変わるに従って、求められる能力が変わりました。学力だけでなく、多様な能力を身に付けなければ、いい職に就けない、能力を発揮できない状況になっています」
その分岐点となったのが1990年代後半だ。日本は高度経済成長を果たした後、「1億総中流」社会へと変革を遂げた。「誰もが勉強をすれば豊かな生活が送れる」という中流意識を支える根本が「教育」にあったのだ。バブル崩壊後、安定した産業社会が崩壊し、世帯年収が減少。グローバル化の進展とともに格差が拡大していった。
英語力・コミュ力・デジタル力・人脈力に重要な家庭環境
こうした格差社会は、さまざまな国で広がっているが、グローバルで教育格差を見てみると、欧米諸国と東アジアでは性質が大きく異なる。

社会学者、中央大学教授
1981年東京大学文学部卒。86年同大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。東京学芸大学教授を経て2008年より現職。専門は家族社会学。愛情やお金(経済)を切り口として、親子・夫婦・恋人などの家族における人間関係を社会学的に読み解く試みを行っている。基礎的生活条件を親に依存している未婚者の実態や意識について分析した著書『パラサイト・シングルの時代』(筑摩書房)は話題を呼んだ。1990年代後半から日本社会が変質し、多くの若者から希望が失われていく状況を『希望格差社会ー「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』(筑摩書房)と名付け、格差社会論の先鞭をつけた。結婚活動、略して「婚活」の造語者でもある。『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか? 結婚・出産が回避される本当の原因』(光文社新書)、『結婚不要社会』『新型格差社会』(ともに朝日新書)など著書多数
(写真:本人提供)
「成人すれば子どもも自己責任」という欧米と比べて、東アジア諸国は「親の生活を犠牲にしてでも、子どものために尽くさなければならない」という家族文化が強い社会。日本は、中国や韓国ほどではないものの、欧米に比べると「いい教育を受けさせることが親の務めであり、人生の目標になっている」という。こうした「子どもにはできるだけお金をかけて教育したい」という教育に対する熱心さが、少子化にもつながっていると山田氏は話す。そこにコロナが襲ってきた。