「AI戦略2019」では、「人間の尊厳の尊重、多様性と包摂性、持続可能性」という理念と、「人材・産業競争力・技術体系・国際」という戦略目標が掲げられている。これらの達成に向けた具体的な目標や取り組みとして最初に提示されているのが、「教育改革」だ。

「『人材』とは産業界のための人材育成ということではなく、誰もがAIを享受できるようにしていくという意味です。また、これからの教育にAIが重要であることを強調したかったため、最初に『教育改革』を置きました」と、安西祐一郎氏は話す。

デジタル社会の「読み・書き・そろばん」を「数理・データサイエンス(以下、DS)・AI」と定義し、すべての国民がこれを学び活躍できるようにするというのが全体像だが、なぜ数理とともにDSとAIが必須になるのか。

「DSは主に数値データ分析で、統計学をはじめさまざまなデータ処理に関する知識が必要な分野。AIは、『プログラミング・データ構造・アルゴリズム』を使い、新たな規則性や価値を見いだす科学技術です。5Gなどでデータ通信の高速化・大容量化が進むと、画像や音声、テキストといった多様な構造のデータを扱う機会が急速に増え、より複雑な処理によって価値を見いだすことが求められます。今後、どんな構造のデータであっても活用できるようにするためには、DSとAIがどうしても必要なのです」

認定制度で「文系学部生」もAIを学べる体制へ

2025年までに達成したい育成目標(下図参照)も段階的に設定されている。基礎力を養う「リテラシー」レベルから見ていこう。小中学校では理数の興味関心の向上を目指すというが、足元の進捗はどうなっているのか。

画像を拡大

「小学校でプログラミング教育が始まり、GIGAスクール構想も前倒しで実施され、一歩前進です。しかしハードとソフトがそろっても、従来と同じ教育をするのであれば多少効率化が進む程度で終わってしまう。教員がICTをうまく活用し、子ども1人ひとりが成長できる教育手法を開拓していく必要があります。しかし、この点は非常に遅れています。

端末もまだ過渡期。例えば認知科学の観点からいうと、人は少し待つだけでも思考が途切れるので、本来教材は1秒以内でダウンロードできたほうがいい。データの収集や処理、転送のしやすさなど、本当に子どもの成長に役立つスペックを追求していくことも課題です。

高等学校に関しては、すべての高校生(年間約100万人)がDSとAIの基礎を学べるようにするのが目標。22年度に必修となる『情報Ⅰ』を土台にしていくことになります。情報科の教育支援強化も求めています」

独立行政法人日本学術振興会 顧問・学術情報分析センター所長 安西祐一郎

文理を問わず、すべての大学・高専生(年間約50万人)が、初級レベルの「数理・DS・AI」を身に付けるという目標については、国が「数理・DS・AI教育プログラム認定制度」を構築して後押しする考えだ。「リテラシー」レベルでは、裾野を拡大するため書類審査で認定する「認定教育プログラム」と、もう1段階上のレベルの「認定教育プログラム+(プラス)」を展開する。認定制度の狙いについて、安西氏はこう説明する。

「全国の大学において、とくに文系の学部生もきちんと学んで単位が取れる体制にしたい。履修した学生を採用で優遇するなど、学生が経歴に書ける形になるよう経済界にもかけ合っているところです。そうなれば、広くAI教育が行き渡る流れができると考えています。募集要項は今年度中に出て、21年度内に運用が始まる予定。現在は、『リテラシー』レベルの上の『応用基礎』レベルの認定制度を検討中で、21年度中の募集開始を目指しています」

AIを使いこなすために必要な4つの力

「応用基礎」レベルでは、文理を問わず、一定人数の大学・高専生(年間約 25 万人)が、自らの専門分野への「数理・DS・AI」の応用基礎力を学べるようにすることを目標としている。よって、「経済学×AI」のようにダブルメジャーを目指すコース創設も考えられる。

さらに、「エキスパート人材」(年間約 2000 人、そのうちトップクラス年間約 100 人)を育成し、彼らがイノベーションの創出に取り組むことのできる環境を整備する。ここまで挑戦的な目標を設定する背景には、DX(デジタルトランスフォーメーション)などによる急激な社会変化がある。

「とくに高校生から大学生の間にしっかりDSとAIを身に付けておくことが、将来食べていくための大切な力になっていく時代。個人だけではなく、日本が世界の中でやっていけるのかということにも関わります」

しかし、時代の要請という現実的な側面があるのは事実だが、AI人材で育成したいのは、単に技術力のある人間ではないという。

「AIがあろうとなかろうと、どんな時代でも求められる人材像はそんなに変わりません。大切なのは『主体性』『思考力』『感謝する心』『実行力』。日本の教育はこの4つの力を身に付けられる教育に転換しなければいけません。ICTは、これらの力を伸ばしてくれる『道具』です。また、こうした力が基盤になければAIを使いこなすことはできません」

教員に求められる3つのこと

では、現場の教員にとって大切なことは何だろうか。

「3つあります。1つ目は、やはり先ほどの『4つの力』。ここを意識した学びを展開してほしい。とくに小・中・高等学校の教員に大事にしてほしいと思います。具体的には、ICTを活用し、子どもたちが主体的にデータを取りにいけるようにすることがポイント。

例えば、登校時にどこに注意すればいいかという課題があったとします。車の交通量や人がどう歩いているかを調べようと思っても、あらゆるデータを取ることはできません。どこに絞ってデータを取るのが適切かということを、自分で考えて判断する必要がある。いわゆる問題解決力や問題設定力といった力ですが、小学校の段階から養成したい。町田市立町田第五小学校のICT活用などが好事例ですが、子どもたちはやってみるとできるのです。

2つ目に大事なのは、教員もある程度は情報スキルを身に付けること。日々忙しいとは思いますが、子どもが挑戦するわけですから、プログラミングは一度やってみてほしい。主体的にデータを取りにいくという力も教員自身が身に付けないといけません。

3つ目にぜひお願いしたいのが、教育以外の世界に関心を持つこと。企業のやる気ある若手は異業種交流などにも熱心です。そういう場所に参加してみるなど、社会との接点を持って視野を広げてほしいと思います」

「AI戦略2019」の成功のカギについて、安西氏はこう考えている。

「国内外の変化を見ていて思うのは、今は明治維新に匹敵する大きな転換の時だということ。時代の要請という観点からも人間教育という観点からも、『AI戦略』が提示する『教育改革』は非常に大事です。デジタル庁設置が打ち出されて行政も変わろうとしていますが、AI戦略の実現は教育現場や企業も行政も含め、多くの人がその重要性を感じてくれるかどうかにかかっている。とくに教育界の方々が内にこもらずに心を開いてくれるかどうか。今はまさに、その分岐点にあると感じます」

安西祐一郎(あんざい・ゆういちろう)
1974年慶応義塾大学大学院工学研究科博士課程修了。カーネギーメロン大学客員助教授を経て、88年慶応義塾大学理工学部教授。2001年~09年慶応義塾長。11年独立行政法人日本学術振興会理事長、18年~同顧問・学術情報分析センター所長。中央教育審議会会長、環太平洋大学協会会長等歴任。1970年代半ばから認知科学や情報科学の研究を推進し、2018年博士(哲学)の学位取得。『教育が日本をひらく―グローバル世紀への提言』(慶応義塾大学出版会)など著書多数。文化功労者、紫綬褒章、フランス共和国教育功労章コマンドゥールほか多数受賞

(文:編集チーム 佐藤ちひろ、写真はプロフィールを除き梅谷秀司撮影)