薩摩藩が「幕末最強組織」になった特異な理由 藩内には「徳川とは対等」という意識があった

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鹿児島のシンボルである桜島(写真:Hiroko / PIXTA)
西郷隆盛や大久保利通が属する薩摩藩は幕府を倒して明治維新を牽引したが、その原動力となったのが、他の藩にはない独自の人材育成・軍事システムだった。

謎1 なぜ大量の兵士を維持できたのか

第1の謎を解き明かすためには、まずは薩摩藩ならではの特異性をみる必要がある。薩摩藩は、鎌倉時代から続く名門・島津家が治めてきた。始祖の島津忠久は鎌倉幕府・初代将軍源頼朝の庶子だったという伝承もあり、江戸300藩の中でも飛び抜けた名門だった。

島津家は関ヶ原合戦後に徳川家に仕えた外様大名だが、徳川家に屈しなかったという“誇り”があった。関ヶ原の戦いでは敵側の西軍に属したが、大胆な敵中突破で武名を高めた。徳川家康は島津征伐を検討したが断念し、最終的には西軍でありながら取り潰されず、それどころか所領が安堵されるという特別待遇を受けた。こうした経緯もあってか、薩摩武士には「徳川とはあくまで対等の関係」という考えがあった。

島津家は引き続き九州南部を治めることになったが、それゆえに戦国以来の体制や習慣が根強く残った。江戸時代の日本には士農工商という身分制度があり、兵農分離で武士層と農民層が明確に分かれていた。武士層は人口全体の7〜10%で、多くが城下町に住んでいた。

ところが、薩摩藩の武士階級は、人口比にして何と30%近く。他藩に比べるとはるかに高い数値である。これは藩内に「徳川とは対等」という独立意識があり、「何が何でも領土を守る」という意識が働いていたからだと考えられる。いざというときに対処できるよう、常に大兵力の維持に努めていたのだ。

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