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象印と東京農業大学が20年超「ごはんのおいしさ」を共同研究し続ける理由――"舌"と化学を往復する炊飯ジャー開発の正体

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9月7日に行われた、象印と東京農業大学による「『おいしいごはん』に関する記者説明会」
  • 象印マホービン 制作:東洋経済ブランドスタジオ
ごはんのおいしさは、どこまで化学的に追求できるのか。象印マホービン(以下、象印)は東京農業大学と20年以上にわたり共同研究を続け、「おいしさ」を商品開発へ落とし込む仕組みを築いてきた。9月7日に行われた記者説明会と個別取材から見えてきたのは、単なる技術革新ではなく、人の感覚を起点として化学で磨き続ける象印の開発思想だった。

開発者の「おいしい」感覚を“共通言語”に変える

9月7日、東京農業大学の世田谷キャンパスで、象印による「『おいしいごはん』に関する記者説明会」が開かれた。

記者会見の様子

登壇したのは、東京農業大学 応用生物科学部 農芸化学科の辻井良政教授と、象印マホービン第一事業部長の宇都宮定氏。テーマに掲げられたのは、両者が20年以上にわたって取り組んできた「ごはんのおいしさ」の共同研究だ。

私たちは普段、ごはんを食べて「甘い」「もちもちしている」「粒立ちがいい」などと表現する。しかし、その「おいしさ」は単純ではない。

辻井教授によれば、米飯の食味にはかたさや粘り、弾力といった物性、外観、味、香りが関係しており、さらに品種、産地、気象条件、栽培方法、貯蔵、精米、炊飯方法に至るまでが影響を及ぼすという。

東京農業大学 応用生物科学部 農芸化学科 辻井 良政教授

象印の商品開発では、その複雑なおいしさを判断するのに、20年ほど前まで「人の舌」を大きな拠り所としていた。「ほぼ官能テスト一辺倒で判断していた」と、宇都宮氏は当時を振り返る。複数人でごはんを食べ比べて「おいしさ」を評価するのだが、人の味覚には個人差がある。意見が一致すればいいが、評価が分かれたとき、どちらの方向へ開発を進めるべきなのか判断が難しかったという。

象印マホービン第一事業部長の宇都宮 定氏

そこで象印が求めたのが、「おいしさ」を客観的に示す数字だった。米飯研究の知見を持つ東京農業大学に相談し、2005年から共同研究が始まった。

辻井教授も、この20年で大きく進んだものとして「定量化」を挙げる。「一定の基準をもって定量化できるようになったことは、かなり大きなブレークスルーだったと思います」。

最初の大きな成果の1つが、炊き立ての温かいごはんの物性を安定して測定する方法の確立だった。ごはんは冷めるにつれてかたさや粘りが変わってしまう。しかし消費者が実際に「おいしい」と感じるのは、基本的には温かい状態だ。当時は温かいごはんの物性を安定して測ることが難しく、辻井教授らは想像以上の試行錯誤を重ねることになった。「過去の論文を探しても、温かい状態で安定して測っているデータがほとんどなかったのです。そのため、研究室で試行錯誤しながら条件を詰めていきました」と辻井教授は振り返る。

数年の研究の後、官能試験で人が感じる食感と相関するデータを安定的に取れるようになり、開発者の経験や感覚の中にあった「こっちのほうがおいしい」を、誰もが共有できる数字に置き換えられるようになった。言い換えれば、職人的な暗黙知を、企業が継承し活用できる“共通言語”に変えたのである。

辻井良政教授の研究室

化学と“舌”を往復する象印の開発サイクル

もう1つ興味深い研究成果が、「甘み」の数値化だ。

ごはんをかんだ瞬間、人はほのかな甘みを感じる。ところが、その違いを数値として測ろうとするのは簡単ではなかった。当初は炊き上げた米飯全体をすり潰して還元糖を抽出し、そこから「甘み」を数値化しようとしたが、それでは炊飯方法による差がうまく表れなかったという。

「同じ米を使って、炊飯ジャーの違いだけで甘みの差を出してほしい、という話でした。普通ならごはん全体から糖を抽出しますが、それではなかなか差が出てこなかったのです」

そう話す辻井教授が着目したのが、米飯の「表面」だった。炊飯中の酵素作用などによって生じる還元糖を米飯表面から測定すると、官能試験で人が感じていた炊き方による甘みの違いと関係するデータが取れたのだ。

この測定法の確立によって、象印は「どの炊き方が、どれだけ甘みを引き出したのか」を、感覚だけでなく数字でも比較できるようになった。すると次に問われるのは、その甘みを実際の炊飯工程でどう引き出すかということになる。辻井教授によると、炊飯によってお米と水に熱を加えるとお米に含まれる酵素が作用し、還元糖が生成・溶出される。

そこで、象印が重視するのが「熱の加え方」だ。独自の炊飯技術によって高温の熱を加えることで、米の甘みを引き出す。そこで火力や圧力を高めたいが、大火力で炊き続けるとふきこぼれてしまうという別の問題が生じる。その課題を解決するために生まれたのが、「大火力ユニット」だった。沸とうによって発生した泡を独自構造でつぶし、おねばだけを内釜に戻し、蒸気だけを外に出すことで、ふきこぼれを抑えながら強い火力をかけ続けられるようになり、甘みを最大限引き出すことが可能になった。とても細かな構造ではあるが、大火力を実現するための特許技術だ。

ふた内部にある大火力ユニットを可視化したサンプル

⇒大火力を実現する象印の特許技術「大火力ユニット」

一方、火力と圧力を高めることで、甘みを増やせるものの、ごはんが軟らかくなって弾力が失われるという、相反する側面もある。

「ごはんにはいちばんいい甘みと弾力のバランスが、どこかにあるはずです。それを言葉ではなく化学的に証明して、そこへ近づけていくことは、炊飯や品種改良によって可能だと思います」(辻井教授)

つまり何か1つの数値を最大化することではなく、複数の要素を最も「おいしい」と感じられる位置へ近づけることが重要になる。そして、ここに象印の開発思想の面白さがある。化学的データを重視するようになった現在も、官能試験をやめてはいない。炊飯チームの10人、20人が食べ、ほぼ全員が「おいしい」と感じるときには、たいてい数値にも結果が表れる。1日の炊飯回数は200回以上に及ぶという。

20年前に「おいしさ」の数値化を求めた象印は、「人の舌」による感覚を信じなくなったわけではなかった。人の感覚と化学的データの間を何度も往復することによって、「なぜおいしいのか」を確かめられる開発へと変えてきたのだ。

象印で実施している官能試験

米も人の好みも変わる。だから「完成」はない

さらには、「おいしいごはんの正解そのものが固定されていない」という実情もある。

近年は、気候変動によって米を取り巻く環境も変わっている。記者説明会では、猛暑による白未熟粒(しろみじゅくりゅう)や高温不稔(こうおんふねん)といった高温障害の実態や、高温に強い新品種の開発なども紹介された。例えば新潟県では、高温耐性品種「新之助」が、猛暑下でも高い1等米比率を維持したデータが提示された。

同時に、人の嗜好も変わっている。辻井教授によると、かつてはコシヒカリに代表される、やわらかく、粘りが強く、味の濃いごはんがおいしさの1つの基準だった。しかし現在は、コンビニのおにぎりや弁当など、機械成形に適した比較的粒感のあるごはんを若い世代が食べる機会が増えたことなどを背景に、嗜好の変化が起きつつあるとみる。

象印の開発現場でも、その変化は認識されている。単純に甘みを増やしてやわらかくするのではなく、適度なかたさを維持しながら甘みを引き上げることを開発上の課題にしている。

記者説明会では象印の炊飯ジャーで炊き上げたごはんの試食も行われた

こう考えると、炊飯ジャーの開発には終着点がないのがわかってくる。

宇都宮氏は「1年前の商品と比べて炊飯性能が高くなかったら、新製品は出しません」と断言する。特にフラッグシップモデルともなれば、すでに相当高い水準にあるが、それでも「少しでも上げていく」という改善を毎年重ねる。その積み重ねが現在の「おいしさ」につながっているという。

一方、研究者の側から見ても「おいしさ」は完成されたテーマではない。

「毎年、気候の違いによってお米の出来は変わるし、いろいろな品種が出てきます。お米をよりおいしく食べるには、どうすればいいのか。どんなお米でもおいしく炊けるようになれば、毎日の食卓に定着し、ごはん文化の継承・発展につながります」(辻井教授)

辻井教授は今後について、米そのものが変化していくからこそ、炊飯ジャーメーカーとの研究にもまだ大きな余地があると語る。

20年以上に及ぶ東京農業大学との共同研究で、象印が手に入れたのは、特定の新技術でも、「おいしいごはん」の答えでもない。人の舌で感じ、数字で確かめ、技術に落とし込み、再び舌で確かめる。その循環を組織の中につくり上げたことこそが、大きな成果だ。

米は変わる。人の好みも変わる。「おいしさ」の正解も変わり続ける。

象印は答えを見つけて研究を終えるのではなく、答えを更新し続けるための仕組みそのものを磨いてきた。火力や圧力といった技術の裏側にある、こうした地道な研究開発の蓄積こそが、「昨日より少しおいしい」を積み重ねる象印の強みの源泉だ。

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