5回目の自民党総裁選で悲願の勝利「石破茂の素顔」 "目つきが悪いんですよ" "もう後がない"

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「私は委員会をどう回していくかといった調整に携わったが、野党側は最終段階で、いいかげんな答弁をされるのを警戒して、政府側の答弁者にこだわった。本来は外相のマターなのに、驚いたのは、共産党をはじめ各党が『きちんとした答弁をする石破さんに』と言うんです」

だが、次の福田康夫内閣の防衛相だった08年2月、イージス艦「あたご」と漁船の衝突事故で2人が認定死亡となる事件に遭遇した。処理をめぐって、防衛省内での隠蔽工作や情報操作の疑いが浮上する。石破の対応に批判が噴出した。

安倍首相とは違う改憲派。民意に敏感

憲法改正、集団的自衛権容認などを唱える石破は、その点では安倍と同じ方向、路線と映る。「右寄り・タカ派」とひとくくりにする人もいる。だが、中谷は異論を唱えた。

「安倍さんとは考え方が違う。靖国神社には公式に参拝したことがない。中国や韓国に対しても排他主義的ではない。集団的自衛権容認という点では同じだが、安倍さんは『限定的容認までで、これ以上は憲法改正が必要』と国会で言った。石破さんはそうではない、と」

現憲法下でも集団的自衛権の幅広い行使は可能で、そのためには安全保障基本法の制定が必要というのが石破の考えである。

安倍は第1次内閣時代、07年7月の参院選で大敗したが、そこでは一度、続投を決めた。その場面で、石破と中谷は自民党内で辞任論の急先鋒だった。中谷が続ける。

「自民党の立ち直りのために、一度身を退いたら、と私は言いました。石破さんも総務会で言った。それが国民の声。誰かが声を上げなければという思いだった」

正論には違いないが、理屈にこだわる石破の攻撃に、窮地の安倍は不快感を抱いたかもしれない。

9月に安倍は辞任する。石破は翌08年の総裁選に初挑戦したが、最下位の5位に終わった。09年は推薦人を確保できず、出馬を見送る。次の12年の総裁選では安倍に惜敗した。

国会議員による決選投票でなぜ負けたのか。笹川の分析はこうだ。

「派閥がなかったから。カネ作りやカネ配りは、しないし、できない。それよりも、やはり99・99%まで詰め切るというのをやめなければ。わかっていても直せないのが性格だが、悶々としているのも事実」

だが、一方で全国の党員・党友の支持では安倍を凌駕した。逆になぜ一般の人々の人気が高いのか。

初当選の選挙から若手経営者などが集まって勝手連的に応援する「どんどろけの会」(どんどろけは鳥取の方言で雷の意)の中心メンバーの岩崎陽一(地元スーパーのサンマート社長)はこんな一面を強調した。

「自分が迷ったとき、われわれに『本当の民意はどうなっている』と聞く。一般の人がどう思っているのか、みんなの意見に耳を傾け、受け入れる柔軟さと素直さがある。それが成長の秘訣と思います」

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