5回目の自民党総裁選で悲願の勝利「石破茂の素顔」 "目つきが悪いんですよ" "もう後がない"

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「竹下登元首相やその周辺の人たちに、このままだと当選できない、将来はないよ、と説得されたみたいです。突然、私のところに来て『もう無理。いろいろ考えたけど、自民党に帰りたい』と言った」

自民党側からの働きかけも強かったが、復党を望む石破自身が自ら頭を下げて、復党の受け入れなど、党内の地ならしを強く要請したという話も漏れてきた。

非難の嵐にさらされた。「出たり入ったり」に対する風当たりは想像以上だった。政治家として汚点、と石破は深刻に受け止めたようだ。

政策通として頭角現す。無派閥が信条

復党した石破は政策の勉強に力を注いだ。得意分野の農政と安保政策に磨きをかけながら、出戻り批判の鎮静と浮上のチャンスを待った。

選挙区回りに同道した元秘書の福田俊史(現鳥取県議)が回顧する。

「車の中でいつも書類か本に目を通していた。読書はすごい。雑学の分野も含め、オールジャンルです」

「安保・軍事オタク」とからかう人もいるが、石破は政界有数の安保問題専門家である。本人も「ライフワーク」と自負している。きっかけは何か。石破が打ち明ける。

「高校生のときから『文藝春秋』や『諸君!』を読んでいたが、92年に北朝鮮を見なければ、自分はこうはなっていなかった」

自民・社会・公明3党の北朝鮮訪問議員団に加わって訪朝した。徹底したマインドコントロールによる反日と個人崇拝の国を見て驚く。安保政策の必要を実感したという。

石破は自分の性格を「何でも自分で抱え込む。どうしても理屈が先に立つ。理屈で納得しなければやりませんので」と分析する。徹底した理詰めの人だ。笹川が解説する。

「だから、政治改革を唱えて、派閥をやめようと言ったのが今、ネックになっている。『派閥を作れ』と私が言っても、理屈で積み重ねる彼は『作る』と言えないんだ」 

将来に備え、約30人の議員を集めて研修会などを開いている。事実上の石破派だが、名称は「無派閥連絡会」だ。「理」の石破が自縄自縛に陥っている感がある。

だが、「理詰めでたゆまず努力」という資質が高い答弁能力や実務能力となって結晶している面もある。

小泉純一郎内閣の防衛庁長官のとき、有事法制の審議に遭遇した。2003年の武力攻撃事態対処関連3法案、04年の有事関連7法案だ。石破の勧めで鳥取選挙区から新進党公認で参議院議員となった常田享詳(現日本きのこセンター理事長)は、石破と同時期に自民党に復党したが、国会審議の舞台裏にかかわった。

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