台湾に米軍が「再び」駐留する日は本当に来るか 米台間の壁は低くなりつつあるが、一線はある

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そして1979年1月1日、アメリカが中華人民共和国と外交関係を樹立したことで、台湾の中華民国政府はアメリカと断交。1979年末の米華相互防衛条約の失効に先立ち、米軍は台湾防衛に関する小規模のグループをハワイに設置し、4月30日に台湾駐留米軍部隊の撤退が完了した。

第3次台湾海峡危機で示されたアメリカの意思

米台断交後、アメリカ議会は「台湾関係法」を成立させ、大使館業務を引き継ぐ形でアメリカ在台協会(AIT)を設立した。また、事実上の国防武官には退役軍人が充てられ、台湾からアメリカの現役軍人の姿が消えた。

その後、国際社会において台湾に対する米軍の関与が注目されたのは、1995~1996年の第3次台湾海峡危機だ。中国は、台湾で初めて総統の直接選挙が行われることに不満を抱いていた。そして、当時総統だった李登輝の訪米が中国の逆鱗に触れ、中国は台湾周辺で弾道ミサイルの発射を含む大規模な軍事演習を行った。

これにアメリカは空母2隻を含む艦隊を派遣し、台湾に対する中国の軍事的圧力を封じ込めた。台湾関係法でアメリカの台湾防衛に対するコミットメントは「あいまい」にされていたが、台湾海峡で危機が発生した際、アメリカが台湾の防衛に動くことが証明された。

2000年の総統選挙でもアメリカは台湾海峡に空母を派遣した。その後、アメリカ同時多発テロ事件をきっかけに対テロの観点から米中は協力関係を構築した。だが、2004年に続いて2008年の総統選挙の際もアメリカは台湾海峡に空母を派遣して中国を牽制した。

アメリカは民主主義の盟主として、民主的な手続きで指導者を決める台湾の総統選挙を守らなければならない立場であった。中国の軍事的な威嚇行動に対し、アメリカは空母などを派遣して中国を牽制した。それでも、実際に台湾の地にアメリカ軍人や部隊を派遣することはしなかった。

ところが、2009年に思いもよらず米軍が台湾の地に降り立った。台風8号(モーラコット)が台湾に上陸し、台湾南部の集落が土石流で壊滅。死者700名近くを数える50年間で最悪とも言われる災害となった。台湾が保有するヘリコプターでは孤立した山間部に重機を運べなかったため、アメリカ政府は米豪共同演習を終えて佐世保に戻る途中だったドック型揚陸艦デンバーを派遣し、台湾の災害救援活動を支援した。

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