浅草乗り入れをめぐる「東武と京成」の悪戦苦闘 両国が今より栄えていた墨田区・江東区の旅

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墨田区吾妻橋1丁目/東武伊勢崎線浅草ーとうきょうスカイツリー/2019-10-9/夕暮れの隅田川と東武200系。東武の隅田川橋梁は、昭和6年に完成した中路カンチレバーワーレントラス構造で、車窓から隅田川を見られるように低いトラス橋とし、架線柱も曲線にデザインされ美しい姿を保っている(写真:結解 学・渡部史絵)
東京23区と多摩地区を計20カ所に分けて各エリアを走る鉄道を紹介する『東京の鉄道の謎を探る』(天夢人)の一部を抜粋して紹介します。

両国をターミナルに

墨田区を走る東武伊勢崎線と京成押上線は、共に浅草を目指した路線だった。東武鉄道は明治時代に北千住を起点に北関東方面に路線を延ばし、都心方面へは、現在のとうきょうスカイツリー駅の前身となる吾妻橋駅まで到達していた。一方、京成電鉄は京成電気軌道として、大正時代に都心のターミナルを押上に置き、成田へ路線を延ばしていた。

両社はさらなる都心への延伸を求め、東武は亀戸線経由で総武鉄道の両国橋(現在の両国)へ乗り入れて、ここを都心のターミナルとした。

しかし、総武鉄道の国有化で、新しいターミナルを見つけなくてはならなくなり、吾妻橋から隅田川を渡り浅草に駅を設ける計画が進められた。

一方、押上止まりの京成も、同じく隅田川を越え浅草への免許を申請したため、両社は競合することとなってしまった。その頃京成は、京成曳舟―八広間にあった向島駅から白髭を経由して三ノ輪橋に向かい、そこから王子電気軌道に乗り入れて、都心部への直通ルートも計画された。当時の京成の軌間は1372㎜だったため、線路がつながれば乗り入れは容易で、向島からの路線は、1928年にまず白髭まで開業して京成白髭線とした。

その京成白髭線が開業した年に、京成は事件を起こしてしまう。浅草延伸を有利にするため政界に賄賂を渡し、それが発覚してしまった。いわゆる「京成電車疑獄事件」と呼ばれ、社長や専務などが逮捕されたのだ。これにより京成の浅草延伸は幻に終わってしまった。

さて、そうなると京成白髭線の存在が増すかと思われたが、京成は上野への延伸に変更して現在のルートを開通させることとなり、京成白髭線は開業からわずか8年後の1936年に廃止されてしまった。そのため、この路線の資料や写真は少ないが、永井荷風の「濹東綺譚」に廃止1年後の姿が描かれている。

ちなみに、「濹東綺譚」は、東武伊勢崎線と交差した玉の井を舞台に、小説家と私娼(認可のない娼婦)との物語で、昭和の初めの玉ノ井界隈には、銘酒屋の看板を掲げ、非公認で売春を斡旋する店が多かった。元々それらの店は浅草にあったのだが、関東大震災の復興の際、警察から営業が認められず、玉の井でなら黙認された。これも1957年の売春防止法の施行に伴い姿を消した。

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