豊田章男退任で回顧するランボルギーニの内幕 フェルッチョが20代の若者にバトンを渡した日

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フェルッチョ・ランボルギーニとランボルギーニ「ハラマ」、そしてトラクター(写真:Lamborghini)

豊田章男トヨタ自動車社長退任のニュースを聞いて、筆者のアタマに浮かんだのはフェルッチョ・ランボルギーニのことであった。

フェルッチョは第2次世界大戦後の混乱記に手ごろな価格のトラクターを開発し財を成し、1963年にイタリアのサンタアガタにアウトモビリ・ランボルギーニを設立した人物だ。「ミウラ」や「カウンタック」といった自動車史に残る名車を開発し、現在に続く自動車事業の礎を作った事業家として有名だ。

なぜ、ニュースを聞いてフェルッチョのことを思い描いたか。それは66歳でCEOの座を若き(日本の大企業としての通例と比較してだが)技術畑の人物へ譲った、創業家を代表する豊田章男の決断と、フェルッチョが51歳にしてまだ20代の青年に自動車事業のすべてを任せる判断を下したことがオーバーラップしたからである。

きっかけはフェラーリ

フェルッチョは生まれつきの“カーガイ”であった。持ち前の行動力と社交性を武器に、軍放出のエンジンを改良して製作した安価なトラクターが大ヒットし、ビジネスを拡大していく中で、彼はついにスポーツカーの頂点たるフェラーリのオーナーとなった。

来日し、ミツワ自動車との契約交渉を行うフェルッチョ(写真:Lamborghini)

彼が手に入れたフェラーリ「250GT」は、レース仕様のエンジンに美しいスタイルのボディをかぶせた魅力的なものであったが、いわゆる“週末の遊びクルマ”であった。エンジンは絶えず調整が必要であったし、日常使用のための耐久性などに関して、多くの問題点があった。

フェラーリ創始者のエンツォ・フェラーリは、独特の富裕層向けマーケティングを行い、「需要より1台少なく作れ。そうすれば買うことのできなかった1人が買えなかったことを吹聴してくれるし、彼自身は次のモデルのとき、さらに熱心に買おうとするだろう」というような理屈をてらいもなく語るような人物であった。

だから、クルマが故障してもそれは「オーナーの使い方が悪い」ということであって、「私はレースしか興味ない。こんな高い街乗りクルマを買う気が知れない」などと、まさに“ツンデレ商法”を実践していたのだ。

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