福井駅、災禍を乗り越えた「不死鳥の街」の玄関口 空襲と地震、水害連続、鉄道開業時も災害が影響

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福井駅前の恐竜モニュメント
福井駅西口には県内で恐竜の化石が多く発掘されていることにちなんだ動く恐竜モニュメントがある(筆者撮影)
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現在、福井県は北陸3県で新幹線が唯一走っていない。北陸新幹線の金沢駅から先は2024年度に敦賀駅(同県敦賀市)まで開業する予定だが、福井の政財界からは福井駅までを暫定的に開業させる案も出ていた。結局、当初の方針のまま敦賀駅まで一気に開業する形で建設は進められた。

北陸新幹線を福井まで先行開業させたかった福井市の気持ちは理解できる。実は、過去にも似たようなことがあった。北陸本線福井駅の開業は1896年で、1882年に県内で最初に開業した敦賀駅よりも14年も遅く、それゆえに鉄道の恩恵を長らく享受できなかったのだ。

「優先度」高かったのは敦賀まで

敦賀は日本とユーラシア大陸とをつなぐ敦賀港を擁し、欧亜国際連絡列車の出発地としても重要視されていた。ゆえに当局も敦賀駅までは早急に鉄道を敷設する必要性を感じていたが、敦賀以北の優先度は低かった。

旧加賀藩の当主を継いだ前田利嗣や旧福井藩主の松平茂昭は、私鉄の東北鉄道を設立。自らの手で北陸に鉄道を引き込むことにした。東北鉄道の資本金は450万円。当時としては、とてつもない額の資本金が集まったことからも、北陸地方が鉄道を欲していたことがうかがえる。

福井鉄道福井駅
2016年の駅前広場再整備に伴って線路を延伸し、駅前広場に乗り入れた福井鉄道。名称も福井駅前から福井駅へと改称した(筆者撮影)

東北鉄道は石川県や福井県から滋賀県の長浜を通り、三重県の四日市まで線路を敷設する計画だった。これに対して、政府は地形的な事情から福井以南の建設は困難であると判断。その意向を受け、東北鉄道の首脳たちは早々に福井以南の鉄道建設を諦めた。福井以南の計画が撤回されたことで、松平茂昭をはじめ越前地方の出資者たちが発起人を辞退。さらに「松方デフレ」(当時の大蔵卿・松方正義による財政政策)により景気が悪化したことで東北鉄道は暗礁に乗り上げた。

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