「連合赤軍」当時を知らない30歳の彼が追う理由 最高幹部「森恒夫」を知る人達の取材で見えた事

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あさま山荘
長野県軽井沢町のあさま山荘、連合赤軍と警察が銃撃戦を繰り広げた当時の様子(写真:時事)
1972年、長野県軽井沢町の「あさま山荘」に人質を取って立てこもり、警察と10日間の銃撃戦を繰り広げた「連合赤軍」。
過激派武装組織「連合赤軍」の最高幹部だった森恒夫を知る人たちに取材した、ルポルタージュ『虚ろな革命家たち 連合赤軍 森恒夫の足跡をたどって』が、第20回開高健ノンフィクション賞を受賞した。作者でいま30代の佐賀旭さんが何故、半世紀前の「連合赤軍」に関心を抱いたのか。佐賀さん、編集担当のSさんに話を聞いた。

━━佐賀さんが、そもそも「連合赤軍」に関心をもったのは、なぜなのでしょうか?

大学院生のときに、朝日新聞のインターンシップに参加しました。インターシップでは、三里塚(注:千葉県成田市。農民主体の、成田空港建設の激しい反対闘争があり、闘争には学生も支援参加した)に行きました。

三里塚を見てまわっていたときに、鉄塔を見たんです。成田空港の中の、滑走路のある敷地内のど真ん中に、フェンスに囲まれた孤島のように鉄塔が立っている。こんなものがあったのだと驚きました。

成田空港内の鉄塔の写真(写真:佐賀旭撮影)

いまの世界とのつながりを感じた

学生運動については、歴史の知識として少しはあったのですが、実物(闘争の名残)を目にすることで、自分がいま生きている世界とのつながりを感じた気がしたのです。

昔の学生運動はこんなことをやっていたのだというのを肌感覚で受け止め、本格的に(1960年代末の学生運動から派生した「連合赤軍」を含め)当時の事件を調べはじめるようになりました。

━━佐賀さんはこの本を書くために一度会社をやめて取材に専念されたそうですが。

きれいな言葉でいうと、使命感です。2017年に赤軍派(注・「連合赤軍」は、本来異なる組織だった「革命左派」と「赤軍派」が合体した団体)をつくった塩見孝也さんが亡くなられたんですね。いま取材しないと当事者がどんどんいなくなってしまうという焦りもありました。

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