池袋駅、3つの「急カーブ」が生んだ巨大繁華街 東武東上線・西武池袋線、紆余曲折の末乗り入れ

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JR池袋駅の全景。東側(画面右)に西武池袋線、西側に東武東上線の駅がある(筆者撮影)
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山手線のルーツは私鉄の日本鉄道が品川―赤羽間に建設した品川線で、1885年に開業した。建設の目的は官設鉄道の東海道本線と、1884年には上野から前橋(仮駅)まで開業していた日本鉄道との連絡である。絹の生糸を中心とする群馬県の物産品を横浜港まで鉄道だけで運べるようにするためであった。

池袋駅はなかった

当時の品川線沿線はほぼ純農村地帯であり、工事自体は容易であったと思われるが、沿線住民の利用は当てにされていなかったであろう。開業と同時に設置された駅は渋谷、新宿、板橋の3駅のみ。現在の巨大ターミナル、巨大繁華街からは想像もつかないが、池袋駅はなかったのだ。

3駅に半月遅れて目黒、目白の両駅も開業。そこで駅設置は、いったん終わる。池袋に駅ができたのは、豊島線の建設と深い関わりがある。この鉄道はやはり日本鉄道が建設した、田端から延びる現在の常磐線と品川線を連絡する目的で計画された。当初、分岐点は目白の予定だった。目白―雑司ヶ谷―大塚―巣鴨―田端と、ほぼ一直線のルートで建設できると判断されたためだが、その頃の沿線風景が想像できよう。

ただ、起点の目白に難があった。目白駅は、高田馬場から上り勾配を進んで神田川を渡り、台地を切り開いた堀割の中に設けられた。現在も同じ場所にある。しかし、分岐点とするには、さらに堀割を広げなければならなかった。そこで少し北の平坦な台地に新たに分岐点を設けるよう変更した。

これが新線の開業と同時、1903年4月1日に開業した池袋駅である。つまり、鉄道が通じてから18年間も、ここはただ、煙とともに汽車が通過してゆくだけの場所だったのだ。

目白―池袋間の山手線電車
目白駅から上り勾配を進む山手線外回り電車(筆者撮影)
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