【後編】大河の主役「徳川家康」先祖の波瀾万丈 家康の祖父「松平清康」までの一族の歴史を辿る

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2023年大河ドラマの主役の徳川家康(イラスト: えのすけ/ PIXTA)

1月8日からスタートする、徳川家康を主人公にした大河ドラマ「どうする家康」(主演・松本潤さん)。家康が誕生する以前の、松平家の歴史にも興味深い点が多々ある。「家康前史」として、松平一族の波瀾万丈な歴史(松平信光以降)を振り返り、読者が大河ドラマを見る際の参考としたい。(前編はこちらから

家康の祖先であり、室町幕府の政所執事・伊勢氏の被官として活動した松平信光は、長享2年(1488年)に死んだと伝えられている。信光は子沢山(40人以上の子に恵まれた)であり、彼の子供たちは、西三河の各所を治めることになる。

それは、大給・桜井・深溝・福釜・藤井・滝脇・長沢などであり、それら領地の地名によって、例えば「大給松平」などと称されるようになる。徳川家康の時代までに分家したそうした家々を総称して「十四松平」という。竹谷・形原・大草(岡崎)・五井・深溝・能見・長沢・大給・滝脇・福釜・桜井・東条・藤井・三木などである。

惣領家は戦国時代の争乱で没落

惣領家(岩津松平)は、岩津城にあったが、戦国時代の争乱のなかで、没落していくことになる。家康が生まれたのは、岡崎城主の松平家であり、惣領家ではない。松平親忠(信光の3男。安城城主)を祖とする庶流であったのだ。親忠は、安城松平家の菩提寺・大樹寺(岡崎市鴨田)を、文明7年(1475年)に創建したことで知られる。

明応2年(1493年)10月、挙母(愛知県豊田市)の中条氏をはじめとする豪族が、井田野(岡崎市)に攻めてきたが、それを撃退するのに功あったのが、親忠だったという。親忠は、文亀元年(1501年)8月10日に死去した。63歳であった。

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